安達氏の著作とは毛色が異なる。まず16世の評価もそれほではないし、マリー=アントワネットに対してもそう。おもしろいのが、「首飾り事件」が公共圏を活性化したという指摘で、この事件自体マリー=アントワネットは無関係にもかかわらず、彼女の日ごろの行動や噂と相まって、王妃を誹謗する出版が賑わったりしたようだ。
本書の特徴としては、フランス革命を思想史事件の側面からではなく、王権と統治の構造改革の側面から論じているところ。
変革主体とは、どのようにして形成されるのか。……社会層、あるいは社会的結合関係などは、変革主体の土壌ともいうべきもので、それらのことから、変革主体が自動的に生まれるものではない。変革主体とは、社会・経済構造の矛盾のなかで異質の敵対分子として徐々に形成され一定の力をたくわえた情勢の時を待って立ち上がる、という性質のものではない。この一般的な社会傾向は、変革主体の形成を説明しない。それには、その契機となる客観的要因と現実にたいして能動的に立ち向かう主体的要因とを考えなくてはならない。(169)
この客観的、外的要因がアメリカ独立戦争やオランダとの戦争での莫大な戦費による財政問題が発端で、財政を立て直すために税制改革や法制改革を行おうとする。それがフランス革命に繋がっていく。
ルイ15世のときにモプーがおこなった司法改革や財政改革が徐々に功を奏したが、ルイ15世の死によって頓挫し、そのときにルイ16世が即位したという。これは啓蒙専制主義への展開のチャンスを逃したことを意味する。ルイ15世のときから財政改革をしようとしていたことがわかる。
テゥルゴは穀物の規制を廃止し、自由主義経済を推し進めようとしたが、不運なことに不作の年でもあったり。
ネッケルはもっと現実的な政策を行っていき、さらには会計報告書を国民に公開した。それで人気がでたらしい。しかしこういうことが反発もでるもので、フランス伝統の万人は君主に従うものだというふうに非難されたり。ネッケルは啓蒙主義的すぎたようで。
そして重要なことはテゥルゴもネッケルも世論に振り回されていたことのようだ。世論というものが形成されてきた。
そして後任のカロンヌは財政が限界であることを覚り、テゥルゴやネッケルの失敗からも学び、名士議会を開催することとした。この名士議会がフランス革命の一つの要因だという。貴族たちは自分たちの特権を失いたくないのでカロンヌの改革案を拒否するが、カロンヌは世論に訴える。しかしまだ世論は貴族たちを信用していた。むしろカロンヌこそが悪弊の根源と見なされていたという。なんとまあ。
政府側は改革をしようとするが、既得権益者や改革によって利益を得る人々などが絡み合って、改革というのは日進月歩で行われていくものなのだとわかる。革新というのは、政治の力学がわからない人たちなので、結局はロベスピエールのような人間が、美徳という名のもとで恐怖政治へとつながる。
モラル・エコノミーという概念があるのを初めて知る。穀物の価格が自由化されることで、不作の年には価格が暴騰する。ネッケルは輸入で対応するが、市民たちは高騰している価格に腹が立つわけで、それが暴動になるが、でもフランスでは暴動は頻発していたという。しかし、群衆たちは危機がすぎたあとも商人や供給者と日常的に付き合う必要があるから、妥協的な交渉をして「公正」な価格、「民衆的価格設定」を行い、さらに払い戻しもしていたという。これらの行為が、慣習的な権利であり、当局が公正な価格を保つことが義務と見なされていたから、この暴動が犯罪的な犯行ではなく、「代執行」の正当行為として考えられていたという。
なるほどー。これはなかなか面白く、イギリスのような自由主義経済のアンチで、ある種フランスで社会主義が盛んなのもこういう歴史的な様相が影響しているのかもしれない。
モラル・エコノミーは本書でも言われているように、パターナリズムだが、アンシャンレジーム下では民衆のなかには潜在的にパターナリズムを受け入れているわけだし。テゥルゴはこのモラル・エコノミーを放棄しようとしていたが、失脚後に自由化は撤廃される。
その後のバスティーユ占拠やヴェルサイユ行進(十月事件)にしろ、いろいろと偶発的なことがおこって、結果、ターニングポイントとしての事件になっている。歴史っておもしろいです。
あと蛇足だが、安達氏の『物語 フランス革命』で、ルイ16世に手術云々の記述があって、その後マリ=アントワネットは懐妊したと書かれていたが、なんのことやらわからなかったが、本書で包茎手術と明記されていた。なんだよー。
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