ソ連時代の初期は、権威的言説による発話の文字通りの意味に評価を下す存在として言説の主人(master)がおり(一九二〇年代末からスターリンがこの役割を独占した)、外部の「客観的な」規範であるマルクス=レーニン主義の真理にがっちするかどうかを決めていた。だが五〇年代末半ばに権威的言説の外部の主人が消える。この変化うぃ受け手ルフォールの逆説が覆い隠せなくなり、イデオロギー表象のあらゆる面に影響が及んだ。(32)
どんな(近代的な)政治システムでも正統性を主張する根拠は、そのイデオロギーの外部の位置にある何らかの「明白な」真理に基づく。システムのイデオロギー言説は常にこの「真理」を参照しており、その根拠を論証することはできない。これが近代国家のイデオロギー言説がそもそも抱え込んでいる矛盾である。(47)
スターリンの個人崇拝と独裁権力は、暴力や恐怖にのみ依拠していたわけではない――そんなことがスターリンに可能だったのは、自身の正統性を、レーニンの教えの継承者、レーニンに指名された人物、レーニンの考えをよく知り理解する指導者に擬すことで得ていたからだ。(93)
スヴェイー(仲間)からすれば、反ソ活動などの「異端派」は健康な人からみた病人であり、考慮から排除される存在だった。なぜなら体制が明らかに安定しているからだ。
後期ソ連社会の脱領土化がもたらした予想外の大変化の一つが、独特な社会集団の登場である。これをひとまずスヴァイーの共同体と名づけよう。イデオロギーの機構と権威的言語が支配するコンテクストでは、スヴァイーが生まれる基準は、共通の社会的出自や特定階級への基準ではなく、権威的言説の受け止め方がにているかどうかだった。してみると、スヴァイーは権威的言説の「公衆」と位置づけることができる。(166)
「スヴァイーの公衆」と名づけた共同体は、至る所で年がら年中あった公的なよびかけへの答えとして生まれたわけだが、そうした呼びかけはソ連体制の権威的言説で出来ている。(167)
こうした繰り返しが続くうちに、呼びかけにパフォーマティヴ・シフトがおこり、儀礼の硬直した形式は再生産されるのに、意味が予想もつかない形に変化していく(168)
インナたちは、異端派の政治言説にも深入りしなかった……「私たちは異端派のことは一度も話題にしませんでした。分かりきったことを、なぜ話すんですか。あんなもの面白くありません」 最後の一言から思い浮かぶのは、お馴染みの権威的言説のパフォーマティヴ・シフトである。権威的な発話・シンボル・慣行を文字通り受けとめなくてもよかった(コンスタティヴな意味を重視されなかった)ため、インナたちをはじめ多くの人が、その意味が正しいかどうかを考えるのも時間の無駄と思っていた。形式的かつ取り込まれないように権威的シンボルを再生産し、そこから生まれた可能性を活用する方が賢いし面白いとも思っていた。そうすれば、システムの統制の目が行き届かない新たな意味を自分の存在に付け加えられた。だからこそインナとその友達は、システムの慣行や発話の文字通りの意味に取り込まれない方を選び(それが肯定的なものでも否定的なものでも)、活動家の言説も異端派の言説も黙って遠ざけた。(174-175)
アネクドートが語っているのは、やつらのこと、「ソ連体制」のことではなく、ソ連の現実そのものであり、われわれ全員もここに含まれる。アネクドートを語る主体も、それを聞いて笑っている客体(つまる、ソ連の人たちほとんど)も、システムに外部の批評家でなく、ヴニェの姿勢で接している。アネクドートは、「ふつう」主体とシステムとの現実の相互関係を示すミニモデルなのだ。ここで皮肉まじりに描かれているのは、笑っている一人ひとりが個人や集団でソ連システムの再生産に形式面で手を貸し、と同時にその意味をずらしていく様である。つまり、アネクドートの主たる任務は、「自分自身を」見ること、厳密にいえば「私たち自身を」見ることだ――もちろん見ると言っても、焦点の合わない、ぼんやりした目でアネクドートの儀礼化した不自然な形式を垣間見ることだけなので、主体が自分自身について直に言うことも、自身の行動や現実との関係に注意することもない。だから、アネクドート語りの儀礼が終わると、それまでと同じように行動することができた。(410)