2019/04/30

北方謙三版『水滸伝三 輪舞の章』

「地稽の星」「天慧の星」「天機の星」「地俊の星」「地魁の星」「地好の星」「天満の星」
曹正の兄は盧俊義に情報を送っていたが、捕らえられて拷問にかけられて死ぬ。曹正はその後、盧俊義と合流し密州と安丘に店を開き塩の道の情報を集めている。その曹正のもとに魯智深が青面獣楊志を連れてくる。楊志はまだ反政府をの狼煙をあげるのには迷っており、煮えきらないようだった。魯智深に誘われるまま出かける。ある村につくと村人たちが殺されていた。二竜山の賊に襲われていた。楊志と魯智深は残っていた賊を殺すと、大声で泣いていた子供を抱きあげる。子供を連れかえり、済仁美に預ける。この子供を楊令という名をつける。魯智深と曹正とともに賊をうつ作戦をたてる。二竜山の首領らを倒し、二竜山をまとめるよに魯智深にいわれる。
北京大名府では盧俊義がどうも塩の道をだれかが探っているようだという。公孫勝は石秀に探ってくるように言いわたす。石秀は500人もの青蓮寺側の人間を皆殺しにする。青蓮寺はまだ梁山泊が裏で糸を引いているところまではわかっていない。しかもまだ宋江までも目がいっていない。
石秀は村々からの政府側の人間をあぶりだす作戦の際、へまをおかしてしまい、公孫勝から致死軍を去るように言われる。そして二竜山の楊志のもとへいき孔亮を助けるように言われる。孔亮は楊志を裏切りって積荷を盗んだ。その仲介役をまず石秀が行う。孔亮は楊志に、腐った役人どもの賄賂を盗んで何が悪い、これは世直しであることを説く。
晁蓋が同士たちの名前を札にして掲げることを提案する。そして裏側には朱でも名前がかかれており、死んだとい札は裏にされる。
宋江の弟である宋清は兄に合う旅の途上、鄧礼華という女性と一緒になる。鄧礼華は宋清が宋江の弟であることを知らないし、宋清は鄧礼華が盧俊義の情報伝達役で宋江と知り合い出会うr事を知らない。宋江は二人がいっしょに現れたので驚く。宋清は悶々とする日々を送っていた。腐った役人や世の中のこと、自分がこれからどうすればいいのかという、自らの道を定めきれていない様子だ。宋江はそんな宋清を見かねて、一度、国へ帰るように言う。そして考えて、もし鄧礼華と一緒になりたいと言うならば、改めて戻ってくるように言う。
鄧礼華は表向き鄧礼華の妾としてそばに置くことにしていたが、それをおもしろく思わない
西京河南府の東、少華山にいる九紋龍史進は、孤独の中で戦っていた。強すぎることで突然首領の地位に祭り上げられたことで自分を見失ってしまっていた。魯智深はそんな史進をみかねて王進に会いに行く事を伝える。史進は喜び、魯智深とともに向かう。久しぶりに会い、今一度王進のもとで精神的な面を修行し直すこととなる。逆に武松は王進のもとで竈いじりなどをとおして、過去の自分を引きづらない強さを得た。魯智深はそんな武松を宋江のもとにもどるように言う。途中、武松は楊志のもとにも訪れる。
青蓮寺では魯智深が重要人物であることに気づく。また楊志を探る意味でも、近くの桃花山の賊たちを使って二竜山を調べさせようとしたが、その周道という賊が曹正の店で済仁美を気に入り、どうしても買わせろと叫びあばれるという。そんなところから、孔亮や武松はあやしいと思い、周道を尋問するが実際何も知らないらしい。桃花山に行き、李忠に会う。どうやら李忠は妓館を探る仕事をうさんくさいと思っていた様子。李忠は義賊でありたいと思っていたが、やり方がわからない。自分ごときが桃花山で一番強いことで首領をやっているが限界があることを十分に認識していた。そこでしばらく石秀がかれらを鍛えることにする。そして楊志率いる二竜山は食料を確保するためにも輜重隊を襲うことをきまるそのなかで、桃花山が突然加勢してくれた。その後、官軍三千が桃花山と包囲するが、問題なく打ち返し官軍を撤退させる。
武松は宋江のもとに訪れる。閻婆借の様子がおかしい。宋清が戻り鄧礼華と一緒になることを決したと述べる。宋清に鄧礼華のもとに行くようにいう。
間を置き、唐牛児の様子がおかしいので、問い詰めるとどうやら鄧礼華について閻婆借に嘘を伝えていたとのこと。嫌な予感がして宋清のもとにいくと、そこには鄧礼華と閻婆借の死体があった。閻婆借は嫉妬に燃えくるって鄧礼華を殺し、宋清は怒りで閻婆借を殺してしまったあとだった。
事件が事件だけに宋江はすぐに旅に出ることにする。旅はするつもりだったが、思いもかけない状況から出発することになってしまった。宋江は宋清がこれからどうするかは宋清自身が決めることとして、朱仝にまかせることにする。宋江は武松とともに旅を続けていくことに。

いっきに読んでしまった。しかし閻婆借がこんなことになるとは。宋清も不幸だな。やはり漢は哀しみを背負っていかなければ、強くなれないということか。
まあそうするといつもだれか(たいていが女性)が殺されたり、レイプされたり、って流れになるわけですが、そんな流れも常套手段と化し、陳腐な表現になっていきかねない。そんな危険性をこの水滸伝ははらんでいる。この問題は講談や浪曲なんかにも当てはまるところがあって、涙をさそう場面の陳腐化は、この手の話には付きもんだと思うしかない。
『銀河英雄伝説』ですら、あのご都合主義と英雄譚のどこかで聞いた使いまわしが全編で繰り広げられておきながら、この大河ロマンSF小説は名作といっても言い過ぎではないものに仕上がっている。

2019/04/29

北方謙三版『水滸伝二 替天の章』2

「天間の星」「地耗の星」「天異の星」「地妖の星」「地魔の星」まで

晁蓋は地下牢に二年間も入れられている公孫勝を解放させるために、魯智深、史進とともに渭州の牢を襲撃する。史進が大いに戦い難なく救い出す。救い出された公孫勝は影の軍、致死軍の創設を提案する。彼の部下として楊雄と石秀が登場する。彼等は心から公孫勝を慕っており、牢に最初に駆けつけたのも彼らだった。
林冲は梁山湖の砦で、王倫を殺す機会を伺っていた。そんなおり、蔡京の生辰綱のため梁中書が十万貫の贈り物をするという。それは実質蔡京への賄賂だが、民から吸い上げたもの。楊志はこの贈りものを無事開封府に送り届ける役を受ける。楊志は忸怩たる思いで運ぶこととなる。楊志のものと孔亮と孔明のふたりがつく。二人は蔡京への贈りものを奪う役を担っていた。
一方、林冲は梁山湖の要塞のなかで、何度か毒をもられるが薛永の毒消し薬で切りぬける。そんななか晁蓋らが入山するための準備をすすめていく。宋万や杜撰はすでに王倫を見かぎっており、林冲とともに王倫を殺す計画をたてていく。
晁蓋や呉用らは梁山湖の山塞に入るためにも、蔡京への贈りものの荷を襲う計画をたてる。楊志はまんまと孔亮よ孔明に出しぬかれて、贈りものを盗まれてしまう。白勝が毒をもったのだ。楊志は賊を一人で追いつづける。
予定通り、晁蓋らは官兵に追われている体で山塞への入山を求める。王倫はもし晁蓋らの入山を認めれば政府は梁山湖を潰しにかかることは目にみえていた。そのため王倫は、体よく入山を断る。林冲がでてきて、それは義に反するといい、いっきに王倫の首をはねる。宋万、杜撰も王倫の側近たちを斬りふせていく。あっというまにクーデターは成功する。晁蓋を頂点とし、新たに梁山泊と称すと宣言し、「替天行道」の旗がかかげられる。

ようやく晁蓋が梁山湖の山塞に入り、話が大きく進みだす。ちょっとご都合主義的な流れではあるけれど、それは原作が原作だから仕方がない。とりあえずおもしろくなってきた。楊志がこれからどんなふうにこの水滸伝で活躍していくのか気になる。

2019/04/26

『蒙古桜 花妖譚十』司馬遼太郎短篇全集一

蒙古桜 花妖譚十

ナルンの疎林で、少女サラは、ある男と何度も逢瀬を楽しんでいたが、ある時男が現れなかった。男はエルトム・バートルといい、いっきに馬を走らせて伝令を伝える伝騎であった。そしてその中でも「鷲の羽」とよばれていた。オゴタイの死を伝えるためエルトムはカラコルムからライン川までを十日近くで走り切り、そこで息絶える。サラは、男が走っている間、森の精から教えられた通り、桜草に祈りを込めていた。男が無限の疾走を続け、サラは男が死ぬこと感じとる。そこで自らの白い股を短刀で裂き、桜をそこに挿す。すると花びらは血を吸ったためか赤みがさす。そして血が固まると、サラはさらにまた自らを裂き桜をさすということを繰り返す。

司馬さんは、騎馬民族好きなのにもかかわらず、それほどモンゴルや匈奴などの小説を書いてない。『韃靼疾風録』『草原の記』ぐらいか。
この小説では、司馬さんが好きな「草原」といった感じがあまりでておらず、なんか本当に好きなものは隠している感じがする。だからかあんまり面白いものではない。草原への思いはあるし、それを題材にしたけど、人には教えたくないといった感じか。
これで「花妖譚」のシリーズは終了。正直言えば、どれもこれもたいした小説ではなかった。読む気が失せてしまったりして、ちょっと時間をおいたが、ようやくだ。義務感のみで読んだといったほうがいい。次の短篇は『ペルシアの幻術師』。そういえば、これを読んだかどうか記憶がない。読んだら思い出すかな。

2019/04/25

『白椿 花妖譚八』司馬遼太郎短篇全集一

白椿 花妖譚八

幻術、催眠術をあやつる塩売長次郎は、伊勢屋惣右衛門の娘のしずの病を治せないかと相談を受ける。山茶のなかでも「見驚」を愛し、育てていた。かれはしずに山茶が日ごとに蕾から花がひらく、それに従いながら、しずも回復していくという。30日後みごとに花が咲き、しずも病が癒えた。
「しず――」
「はい」
「お前は……」
「山茶でございます」
「花は、ひらいたか」
長次郎は、自らの技を試すかのように、山茶の花をもぎると、しずは一瞬死ぬ、そして花をもとに戻すと、しずはまた生き返った。

まあまあまあといった感じ。しずと山茶が入れ替わったのかどうか、幻想小説としてはいまいち。夢幻的要素が少なく、これも習作のようなもの。

2019/04/24

Mozart Symphony No40 Symphony No36 "Linz" Orchestre du Théâtre National de l'Opéra, Paris Carl Schuricht Festival Classique, FC 420/モーツァルト 交響曲40番、36番「リンツ」 カール・シューリヒト、パリ・オペラ座管弦楽団



Mozart
Symphony No40
Symphony No36 "Linz"
Orchestre du Théâtre National de l'Opéra, Paris
Carl Schuricht
Festival Classique, FC 420
1977

パリ・オペラ座管弦楽団、カール・シューリヒトのモーツァルト交響曲36番と40番。詳しく知らないけれど、もとはConcert Hallから出されていたものだと思う。シューリヒトのこの録音は初めて聞くし、Concert Hall版と聴き比べているわけでもないのでよくわからない。盤が悪いのかノイズが多め。
かなり好みの演奏で、とにかくテンポは早いし、音楽が走っていてモーツァルトだなあって感じ。モーツァルトは現在では古楽器でよく演奏されるけど、それとは全く異なるコンセプトをもっている。たぶんモーツァルト自身、こんなハイテンポで暴力的なリンツを想定して作曲は絶対していないと思うけど、これこそが僕が聴きたいリンツだと言ってもいいかもしれない。。第三楽章と第四楽章が聞きどころで、その爽快感は決して他の演奏では得られない。
うってかわって交響曲四〇番は、これはこれで悪くない演奏なんだけれども、リンツと比べるといたって普通に聞こえてしまう。
ということで、リンツが素晴らしい。

2019/04/23

『サフラン 花妖譚九』司馬遼太郎短篇全集一

サフラン 花妖譚九

ムハメッドが世に出る前の「無道時代」アラビア砂漠でアブル・アビという豪傑がいた。だれからも恐れられていた。そんな中、山猫(スレット)とよばれる男がありを殺す役に選ばれる。
アリは処女犠牲であった少女を犯し、神に捧げるなら俺に捧げろ、神が守ってるんじゃない、俺が守っているんだという。そして俺を殺せるものは誰もいないと、心が昂ぶるのではなく、逆に沈んでいき、世界に自分ひとりだけという孤独感にさいなまれていく。そんな中、山猫が現れる。アリはそんな気分じゃないと闘いを拒否する。山猫は勝負してくれと食い下がる。殺してくれと頼まれる。アリは山猫の首を切り、そのまま白刃は一旋しアリ自らの首も跳ね飛ばしてしまう。

まあまあまあまあ。サフランって何か関係あるのかどうか。サフランが登場しなかったけどいいのか。山猫とは違い、アリは自分自身でしか己を殺すものはいないとと判断したのだろう。これも微妙な作品だった。

2019/04/22

Beethoven Sonata No23 In F Minor Op. 57 "Appassionata" Sonata No32 In C Minor Op. 111, Jullius Katchen, DECCA, LXT 5187/ベートーヴェン ピアノ・ソナタ23番、32番 ジュリアス・カッチェン



Beethoven
Sonata No23 In F Minor Op. 57 "Appassionata"
Sonata No32 In C Minor Op. 111
Jullius Katchen
DECCA, LXT 5187

ジュリアス・カッチェンのベートーヴェン、ピアノ・ソナタ23番と32番。1955年の録音。
23番「熱情」は、僕はなんかあまりに深刻ぶっているところが好きではなくて、ほとんど聴くことはないのだけれど、聴いてみると、たまに聴くといいもんだなあと思った。
やはりメインは32番でしょう。カッチェンは32番を55年と68年の2回録音している。55年当時、カッチェンは29歳。第一楽章の確信に満ちている。カッチェンの音は、強弱が非常に明確で色彩に富んでいる。色彩に富むというのはなんか変な形容だけれども。あんまりぼやかすような演奏ではない。
第二楽章は若干テンポが早めでどこか明るい。この曲が本来もっている瞑想的で厭世的な、そんな曲想から脱却して、希望を見いだすかのような演奏をしている。
惜しむらくは、録音があまり良いとはいえないところだが、まあこれも歴史を感じるうえではいいもんで。

2019/04/21

『1493 世界を変えた大陸間の「交換」』 チャールズ・C・マン 布施由紀子訳 紀伊國屋書店

第一章 ふたつの記念碑
コロンブスのアメリカ大陸の「発見」は「均質新世(Homogenocene)」という時代を切りひらいた。グローバリゼーションとは経済の話だけでなく生物学的現象でもある。
ボリビア南部のポトシで、銀の採掘と精錬が行われ、ここのスペイン銀がヨーロッパだけでなく東アジア、とくに中国へと流れ込む。当時の中国でが絹などの織物や磁器など多くの輸出品があったが、ヨーロッパでは中国が欲しがる品がなかった。
一方、ヨーロッパでは銀で潤ったスペインが、ヨーロッパ諸国に戦争をしかけていった(八十年戦争、オスマンーハプスブルグ戦争、米西戦争などなど)。
銀が大量に供給されたためにインフレが生じ、物価が高騰する。それに加えて宗教的対立や階級間の対立が重なっていき、そして1550年ごろから1850年ごろまでつづいた小氷期「マウンダー極小期」が訪れる。
マウンダー極小期の原因としてウィリアム・F・ラディマン(W. F. Ruddiman)が提唱する説が紹介される。アメリカ大陸の先住民は定期鉄器に森を焼きはらってきた。害虫を殺し、農地を確保するために。そのことが草原が大森林に飲み込まれることを防いでいた。しかしコロンブス以降、疫病や殺戮によって原住民の人口は減少し、1000年以上続けられてきた森を焼き払うことがなくなってしまった。そのため急激に森林が復活していき、二酸化炭素を吸収していったという。そのため二酸化炭素濃度が下がり、急激な寒冷化となったという。ここでは太陽黒点の影響やフィリピンでの火山噴火の影響は小さいと主張する専門家がいることを述べている。
んーここのマウンダー極小期の原因については、かなり疑問点がある。二酸化炭素が何ppm増加すると何度気温があがるのかがよくわかっていない状況なんだと思うけど。現在は400ppmを越えたとかで一部で話題になったけれども、マウンダー極小期の二酸化炭素の濃度の増減はどれくらいの振れ幅なのだろうか。原住民を焼き畑をやらなくなって森林が復活したのはいいけど、それによってどれくらい二酸化炭素は減ったのか。減った分と気温が増えた分は、現在の二酸化炭素濃度の増加と気温の上昇分と一致するのかな。つまりは二酸化炭素の気候感度はどうなっているのか。なんとも言えないけど、眉唾な感じが、、、


第二章 タバコ海岸
アメリカの北部地域にはいなかったミミズがヨーロッパから持ち込まれる。ミミズというものは遠くに移動することがないらしい。ジョン・ロルフがジェームズタウンにミミズを持ち込んだかはさておき、ジェームズタウンはコロンブス交換の先駆けとなり、地球の生態系戦争を引き起こすことになる。
ジョン・スミスから語られる入植者の物語は、驚きに満ちている。そもそも僕はアメリカ大陸へのヨーロッパ人の入植の歴史に明るくないからでもあるのだが、入植団を送りこんではその半数以上、もしくはほぼ全員がマラリアや黄熱病で死に、もしくは飢餓で死ぬ。飢餓で死んでしまうというのも凄まじい。本書ではジェームズ川で豊富に魚をとることができるが、ポウハタンという先住民がジェームタウンの外で待ち受けたりして、食料が確保できなかったというのだ。つまり、入植者は先住民に対して圧倒的な武力を誇っていたわけではないということだ。
ヴァージニア会社は貴金属やワイン造り、絹織などの事業を試みるが、ことごとく失敗する。にもかかわらず、北米での事業を挑戦し続ける。著者はなぜ挑戦し続けたのかと問う。そしてポウハタンは入植者を叩き潰すことができたのに、それをしなかった。なぜなのか。その答えがコロンブス交換にあるという。
ポウハタンとの停戦によりジェームズタウンの入植者はタバコの生産を増やすことができた、チェサピーク湾をタバコ海岸とも呼ばれたとのこと。それほどタバコ生産が伸び、イングランドでは高価なスペイン人が持ち込むタバコに取って代わる勢いだったようだ。ジェームズタウンのタバコ生産が伸び、新たな入植者も増えたことで、ヴァージニア会社は遠いイングランドから彼等を統治することが困難であることを悟り、北米初で代議士を選出し会議を開くようになった(1619年)。そして、それから数週間たたないうちに海の向こうから黒人奴隷がやってくるようになる。ここにアメリカ合衆国の代表民主制度と動産奴隷制度がなる。
セイヨウミツバチが持ち込まれたことで、ヨーロッパ由来の植物が繁殖し、豚などの家畜も増えていった。それによって、武力でも食料や経済の面でも劣っていた移民たちの土地は知らない間に広まっていき、見慣れなかった土地の風景がヨーロッパの風景のようになっていった。

第三章 悪い空気
マラリアの章。ヴァージニアへの入植者は最初の一年順応(シーズニング)するまでは辛坊せねばならなかったようで、驚くべきは入植者のうち一年以内に三分の一が死んでしまっていたということだ。そのため各分野で労働力が不足していく。その解決策には、イングランドからのさらなる入植者、年季奉公人を雇うこと。もしくは奴隷を使うこと。当時イングランドは世界最大の奴隷保有国だったらしい。しかし、奴隷はコストとリスクが伴う。奴隷は奉公人よりも高く、また奴隷は勤労意欲が低く、いつ何時逃亡するのか、反抗してくるかわからない。アダム・スミスが言うように奴隷は経済的であるとは言えない。そのためイングランドの入植地は当初は年季奉公人のほうが多かった。
しかし1680年から1700年にかけて奴隷が爆発的に増え、イングランドは奴隷貿易の雄となる。多くの経済学h差や歴史学者がこの転換の理由を考えてきた。アダム・スミスはフロンティアを目の前にした労働者は、みずからも雇い主になるために土地を去るだろう、だから働き手の自由を制限する方へといった。奴隷制は必然だったという。またはピューリタン革命の内戦で年季奉公人の¥の数が減り、しかし需要がましたため年季奉公人の方が値段が上がったともいう。
インディアン社会でも奴隷が使われていた。しかしその制度は部族や地域で異なっていた。戦争捕虜として、または労働力として、または贈りものとしてなど。
カロライナ植民地でスペインとフランスと手を組んでいるインディアンを襲撃するように、他のインディアンに申し入れる。それによって捕えた捕虜を奴隷として仕入れ、スペイン。フランスの力も削いでいったという。そしてカロライナ植民地は奴隷の輸入地へと発展した。ここで著者はおもしろい考察をしていて、北部に住むインディアンは奴隷をもつ習慣をあまり持たず、捕虜の売買にも興味を示さなかったようで、このインディアン社会の習慣の境界線が、後の南北戦争での境界線に重なっているのではないかという。しかしインディアンを奴隷として使うことは、反乱が実際に起こったりで立ち行かなくなる。そこで、労働者を補う方法として、マラリアの抗体をもつアフリカ西部、中央部の人々を奴隷とすることにした。
しかし、マラリアがなかったとしても奴隷制は存在しただろう。というのもマラリアの罹患を免れたマサチューセッツやブエノスアイレスなども多くのアフリカ人奴隷が存在した。ただし、これらの地域では奴隷が主要な産業にはならなかった。つまり、文化、経済も奴隷制が基本だったブラジルとは異なる奴隷社会であった。
マラリアがアメリカ独立に果たした役割も大きく、当時のイギリス軍の多くはマラリアの生息していないスコットランド出身者で、はからずも総司令官クリントンは南部作戦をとり、マラリア生息地域へと誘い込むかたちとなった。

第四章 通貨を満載した船(絹と銀の交換 その1)
15世紀初頭、明の永楽帝の時代、鄭和による大航海が行われる。しかし、この事業は洪熙帝によって中止となる。その理由として、欧米では中国の中華思想をもちだしたり、改革への消極性などw理由に上げているが、実際のところは当時の明にとって、遠く航海をして得られるものがあまりに少なかったからというにすぎない。明は鎖国制度をしいたが、結局は貿易をしぶしぶ認めるようになる。その結果、中国でもコロンブス交換が行われるようになる。
紀元前の中国では青銅で硬貨を鋳造していた。しかし銅の不足によって1161年に宋は世界初の紙幣「会子」を導入する。しかし紙幣は扱い方を間違えるとハイパーインフレをお越し、ただの紙切れにしてしまう。商人たちはそれほど価値のない青銅や、紙切れになるリスクがある紙幣を使用して決済するのではなく、銀のかけらで支払いをするようになる。
アンデスのポトシには、銀の含有率がかなり高い鉱石があることはしられてえおり、先住民は低温炉を使って精錬をしていた。しかしスペイン人が乗り込んできて、水銀をつかったアマルガム精錬で行うようになった。それにより鉱山では、労働者がひどい健康被害がおこった。労働者にはアンデスの先住民で、バスク人が市政を牛耳っていた。ポトシの銀はスペインのペソ銀貨となり世界通貨となる。大量に銀河採掘されたためインフレが生じ、価値の低下が始まる。そしてスペインは財政難に陥る。これは反スペイン独立戦争、フロイドの乱三十年戦争などのヨーロッパ騒乱の原因にもなる。
マニラにはパリアンと呼ばれる月港の出張所があった。スペインは中国人をパリアンから出ることを禁じたためだ。多くの商品がスペイン産よりも中国産のほうが質がよかった。しかしスペイン人にとってはマニラは魅力てきだった。なぜなら中国は絹や陶磁器を銀と引き換えに安く売ったからで、だがそれでも商売では中国人が優勢だった。そのためスペインは中国人を何度も追放し、ときには虐殺もおこなった。それでも中国人はマニラで貿易に従事した。
スペインにとってマニラでの貿易は、中国の商品を仕入れることとともに、アジアをキリスト教に改宗させ、オランダ、ポルトガルの先をいくことだった。これらの目標は両立することはなかった。
明にとっては、貿易で得られる銀が帝国の富の源泉であった。明は銀の取引を管理したかったが、自由貿易をしたがる月港やパリアンの中国人とは相容れなかった。明にとって銀を莫大な量で必要としていた。そこで明は輸出品の生産に力を入れた。実物貨幣である貴金属は多大な生産コストがかかる。当時の中国はこの銀を手に入れるために多くの労力を使ってしまっていた。

第五章 相思草、番薯、玉米(絹と銀の交換 その2)
中国は当時、世界最大の人口を有していたが、農地は少なかった。棚民と呼ばれる土地をもたない客家らは、山間部の痩せた土地を借り入れるようになる。そこでサツマイモやトウモロコシ、タバコを生産するようになる。米作に不向きな西部の土地へ貧しい農民に移住を勧めた。アメリカ大陸原産の作物は中国の土地の多くで作られ。結果人口の爆発的増加をうながした。産地は侵食され、長江流域などでは洪水が頻発する。そうするとコメの価格があがり、そして山間部でのトウモロコシ生産が増えていく、というサイクルができあがる。

第六章 農工複合体
ジャガイモは生産性が穀物より高く、ヨーロッパの飢饉を終わらせ、そして帝国の形成に貢献したという。ジャガイモによってマルサスの罠から逃れられるようになった。知らなかったが、アンデスではジャガイモがもつ毒性物質ソラニン、トマチンを中和させるために土(粘土)を一緒にに食べていたという。しかも現在の粘土が袋入りで売られているとか。マジか。アンデスでは多種多様なジャガイモが生産され、多種多様な食べ方をしていた。
アンデスは農耕に適した土地ではない。アンデスの人々は広大な棚田をつくり、地形や畝、畦のうまくつくり、ジャガイモの生産をしていた。
カツオドリやペリカンなのどの鳥の糞が50メートルもの層になっていて、グアノと呼ばれ、窒素を含み優れた肥料となる。アンデスの人々は経験上、グアノが肥料になることをしっていたがヨーロッパ人もそれを知る。ペルーは膨大のグアノを輸出し、かなりの利益をだす。ペルーはチンチャ諸島を国有化するが過酷な労働環境のためなかなか運営がうまくいかず、ドミンゴ・エリアスに独占採掘権を与える。そこでは中国人が奴隷として働かされていたのだと。この話は一九世紀中頃とのこと。
このグアノの使用が化学物質の雛形ができあがった。これによって大量のジャガイモやトウモロコシが生産でき、作物は現地の人が消費するためのものから、国際市場へ展開されるものとなった。二〇世紀のはいじめにドイツ人化学者フリッツ・ハーバーとカール・ボッシュが人口肥料の合成方法を開発し商品化する。これによってグアノを取る必要がなくなっていく。
グアノは近代的農業を誕生させたが、コロンブス交換というかたちで最悪の事態を招いた。それが一八四五年のアイルランド飢饉で、疫病菌があっというまに広まっていった。疫病菌事態は非常に弱い菌で紫外線や雨が降っただけでも壊れてしまう。しかしアイルランドでは単一品種のクローンジャガイモが飢えられていたため、疫病に対して非常に脆弱で、しかも近代的耕作法が疫病菌を蔓延させた。
そしてこれは甲虫の蔓延にも同じこといえ、均質化した農作物に対して虫がはびこることがたやすく、それに対する殺虫剤は年々効かなくなり、さらに新しい殺虫剤が開発されるという応対となる。

第七章 黒い金
天然ゴムについて。南アメリカのインディオたちは昔からゴムを使っていたが、一九世紀初頭にゴム製のオーバシューズが発明されて、多くの製品にも使われるようになった。グッドイヤーとハンコックは同時にゴムに硫黄を混ぜると寒い日でも伸縮性があり熱い日でも溶けない物質に変化することを発見する。それからゴムは近代の科学技術には必要不可欠なものへとなる。驚きなのが、フォードがゴム園を建設し失敗していたというのだ。タイヤメーカーのハーヴェイ・ファイナストーンという会社の名前がでていた。ブリヂストンが買収していた。中国もも1960年代に雲南省の南端のタイやラオスの国境沿いに人々を移住させてゴム農園を建設したりした。現在でもラオスではゴム林は広がり続けているよう。ゴムの木が東南アジア諸国を結びつけている。

第八章 具だくさんのスープ
コルテスがテノチティトランを陥落させた。フアン・ガリード(美男子ジョニー)は黒人奴隷かベルベル人かよくわかないが、ポルトガルで過ごした、そして解放されたのちコルテスのもとで右腕のような存在として働く。彼をスペインからのコメの袋からパンコムギの穀粒をみつけて栽培する。これがコロンブス交換となるが、彼自身もコロンブス交換であった。アメリカ大陸へ渡った者の大半はアフリカ人で、19世紀末までアメリカ大陸はヨーロッパの延長ではなくアフリカの延長であった。19世紀に入ってからヨーロッパからの移民が大量に入ってきた。人間版コロンブス交換はまず奴隷貿易からはじめる。メキシコシティはアフリカ人、アメリカ先住民、アジア人、ヨーロッパ人が一同に会した。マデイラ島でサトウキビの栽培が行われ、プランテーション農業が少しづつ浸透していく。16世紀中頃にはブラジルでもプランテーション農業が始まり、マデイラ島やサントメ島などは市場から締めだされた。
エンコミエンダ制は自由を保証しつつ宗教教育を行うとしたものだったが、奴隷の容認でもあった。1550年から1650年の100年の間にジェノヴァ商人は65万人ものアフリカ人奴隷がアメリカ大陸にやってきて、ヨーロッパ人よりもアフリカ人が多い状況になっていく。
コルテスをはじめ、ヨーロッパ人はとインディオの異人種間結婚はすぐに始まっていた。インディオからすれば娘をヨーロッパ人と結婚させることで、キリスト教徒として認められ地位が上がる、ヨーロッパ人からすれば身分の低いインディオを思いのままに使えるようになる。フランシスコ会修道士たちは人種隔離政策を提案したりもしたが、インディオとスペイン人は完全に混じり合って暮らすようになる。混血者の人口も増えていき、そしてアフリカ人も増えていった。そんななか人種間で多くの階級の壁ができていく。スペイン人が就くことができる職業やアフリカ系が着てはいけない服装など。些末な決まりができていく。メスティソ、ムラート、サンボ、モリスコなどの混血の分類と地位ができていったが、政府が意図したように機能はしなかった。むしろアイデンティティは売買されることもあった。アフリカ人奴隷であれば納税額が低いため、アフリカ人と自称するインディオもいた。人種飲み分けがつかなくなり、多様性があたりまえとなる。そのなかでカスタ絵図という芸術のジャンルができる。そこには混血者が描かれ、差異ゆえの差別がみうけられない。
インド、マレーシア、ミャンマー、スリランカなどのアジアからも移民が多く、十把一絡げにチノと呼ばれていたという。おどろくは日本人も用心棒としてメキシコに渡っており、暴動が起きた際などに鎮圧に向かったという。中国投機の模造品もつくられるようになるプエブラではタラベラ焼きができあがる。中国人の技術者はいたって質が高く、あらゆる職業でスペイン人が追い込まれていく。メキシコシティの政府は対策を講じても止めることはできなかった。メキシコシティは中国の情報の中心地となっていく。
16世紀から17世紀にかけてメキシコシティは比類のないメガロポリスであった。

第九章 逃亡者の森
アメリカ最大のアフロ=アメリカン・コミュニティで60万人の人口を擁するリベルタージは、ブラジルの逃亡奴隷の街キロンボの一つ。サルヴァドールはリベルタージの他のキロンボを飲み込みながら成長していった。アメリカ大陸の歴史はヨーロッパのアメリカ大陸遭遇という出来事というよりもアフリカ人と先住民の出会いといったほうが正しい。奴隷制から逃れるために戦って作り上げてきた街がリベルラージやカラバルといった街。アフリカ人と先住民は、自由を勝ち取るためにしばしば共に戦った。
「奴隷」とは、現代からみると異なる制度であったと考えられる。ヨーロッパ人だけがアフリカ人奴隷を売買していたわけではない。アフリカ人自身が奴隷を売っていたし、ヨーロッパ人と対等に自由競争の中で奴隷売買を行っていた。アフリカ人が考える自由に対する考え方が違った。アフリカ西部・中央部では土地は国有地のようなもので課税対象ではなかった。そのため富は人を支配することを意味していた。人はすなわち労働力でもあったからだ。ヨーロッパでは土地に重きを置いていたが、アフリカの一部では奴隷が資産だった。そして奴隷は移動可能であった。そしてアフリカにおける奴隷制度は現代人の奴隷観やアメリカの奴隷制度とは違い、過酷なものではなかった。奴隷は所有していることがステータスだった。それに一定期間すぎると自由の身にもなった。そしてアフリカにおける奴隷の場合は身元がわかっているケースがほとんどだが、アメリカに売られることで単なる商品となり、単純に生産に必要な労働者でしかなくなった。これは、アメリカの奴隷はいつでも反乱をするかもわからないリスクを内在していた。
16世紀ではアフリカ人の人口はヨーロッパ人の7倍に達しており、少数のヨーロッパ人でアフリカ人を支配、管理するのは困難だった。スペインはマルーンを討伐するために討伐隊などを送るが失敗する。マルーンたちは自由を求めて森へと逃亡していく。
ニカラグアのところで、ちょっとおもしろい話がでている。ミスキトゥ語しゃべるインディオと少数のヨーロッパ人、そしてアフリカ人奴隷が混じり合った社会を構成していったが、伝染病で先住民を祖先に持つミスキトゥ人の多くが死に、アフリカ人が優勢になっていた。アフリカ人は次第に自らをインディオと言うようになったと。たしか船戸与一の小説『山猫の夏』のラストで、黒人のインディオが登場したような記憶がある。南米三部作では最初の『山猫の夏』しか読んでいないから、『神話の果て』『伝説なき地』とかでは、黒人のインディオは登場するのかどうか。
南米北米ともにアフリカ人の逃亡し、済んだ街がある、現在でもその街は残っているところもある。

第十章 プララカオにて
フィリピン、イフガオの棚田について、せいぜい100年か200年程度しか遡れないよう。大昔からの伝統ではないようだ。マジか! 

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読んでいて年表が欲しいと思った。東アジア、東南アジア、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパを論じていて、年代順にも必ずしも論じていない。とってもおもしろい内容だし、一つ一つのトピックは興味深いのだけれども、何年の出来事なのかがよくわからなくなってしまったりした。縦ではなく横の歴史を描いているのだから、各地方での出来事の年表があれば、もっとおもしろかったかな。この時代に、まだこんな状況だったのかなど、けっこう考えさせるものがあった。本書が論じているようにヨーロッパ政治がアメリカ大陸の政治と密着しており、無視できない。にもかかかわらず、本書ではアメリカ史とヨーロッパ史をうまく頭で整理することができなかったりした。
ただおもしろいのは確か。世界が知らず知らずのうちにコロンブス交換を行っていて、それは後戻りできない変化を世界にもたらしてきた。それが非常によくわかる。
本書でも何度も言及されているクロスビーの『ヨーロッパの帝国主義』の延長線にある。とはいっても、結構前に読んだため忘れてしまっているところも多々あり。ほんの少しメモを残しているが、もっと詳しく要約しておけばよかった。
僕が考えていたアメリカ史とは全く異なるものが見える。白人の移民たちがマラリアなどでかなり犠牲になっていたこと。白人移民が武力的に有利であったわけではないこと。そんななかでも開拓者やベンチャーがでてきたこと。奴隷制度が実はなぜ広まったのかが経済学的視点では答えがむずかしいこと。かなり興味深いテーマが多くある。

2019/04/20

北方謙三版『水滸伝二 替天の章』1

「天傷の星」「地幽の星」「天暗の星」まで

武松は魯智深に故郷に帰るように言われ、数年ぶりに赴く。武松が愛していた潘金蓮は、自分にではんく兄のもとに嫁ぐ。心が引き裂かれそうな日々のなか、兄と潘金蓮が交合しているところ目撃してしまう。このままではどうにかなってしまうと思い、故郷を後にする。その後はぐれ者として生きざるをえない状況になったところで宋江と魯智深に出会う。志をともにして歩むことを決意するが、武松の心の弱さもあり、それと決着をつけるためにも里帰りをする。数年ぶりに兄に会い、潘金蓮の料理を口にする。やはり帰ってくるのではなかったと思う。あくる日、兄が留守にすることになっており、帰ってこない。武松は深酒をしてなぜだか兄の家に行き、潘金蓮を何度も激情にかられ犯してしまう。潘金蓮は、その後自害し、賊に襲われたことを書きおきした。武松は死んだ潘金蓮を見、自分を責め、川へ飛び込むも死ねず、森で虎と闘うも死ねず、寺に厄介になる。
朱貴の妻陳麗は病に伏しており日に日に悪化していく。そんな中呉用は朱貴に安全道と薛水を紹介する。安全道は陳麗はもってあと半年であると宣告し、直せないが痛みを和らげることはできることをいう。呉用は朱貴に安全道と林冲が政府に追われていることを話し、王倫が支配する梁山湖に潜入することにようやく成功する。王倫には杜遷と宋万という右腕のような存在がいるが、彼らは現状の梁山湖のあり方に不満をもっている。そんなところに林冲が現れて、少しずつ状況が変わっていく。ある日、地方巡検視である楊志が近くを通るというので林冲は、戦いを挑む。楊志は顔に青痣をもっている。薛水は林冲に宋江からの伝言で、楊志を殺さぬように言われる。立ち合いは死闘といってよく、辛くも林冲は勝つ。楊志は殺せと林冲に言うが、林冲は殺すに惜しいという。
袁明には四人の部下がいる。李富、蒼英、何恭、呉達。袁明がこの四人を使い国を動かしている。袁明の上には蔡京のみ。反乱の兆しなどないかを監視している。国は熟れて腐りかけているが、王安石のような変法を行えばまだなんとか永らえることを期待している。また宋という国のかたちである、文官優位を絶対的な信念としてもっており、高俅とは違い志をもっている。
楊志は巡回の様子をこの会議で聞かれるが、報告書以上のことはないなどさっぱりいまいちだったため、高俅から職を解かれて左遷させられる。魯智深や蘆俊義などと会い、現在の政府がいかに腐りきっているかを聞かされ、返す言葉のない。
魯智深は武松を訪ねて、武松の弱さを克服させるために、王進のもとを訪ね、彼に武松を託す。

まだまだ話が進まないが、楊志がここで登場。不満がある。武松の悲しみが中途半端な感じがする。潘金蓮を犯すのはいい。でもなんか武松の欲情や激情がなんとなく物足りない。潘金蓮が自害した後、悲しみで死のうとするところも、微妙な読後感。もっと武松の内面を書き込んでもよかったのかもしれない。もしくはもっと簡略化して、読者にその悲しみを想像させるほうがよかったのかもしれない。文章の中に「悲しみ」といった言葉があまりに直接書いてありすぎていて、幾分空虚な感じとなってしまっている。なんか簡単に立ち直ってしまってないかと思わないでもない。
袁明その他もろもろの政府側の人間の話がある。このあたり勧善懲悪としなかった点いい。蔡京、袁明は、王安石を範とし国を変えようともがいている。宋江、晁蓋らとは違う戦いがここにもあるというのが、ここに示されている。

2019/04/01

『菊の典侍 花妖譚七』司馬遼太郎短篇全集一

南朝の正平二年(一三四七年)の吉野で菊の香りがするという女性がいた。とくに容姿にすぐれているわけでも才気があるわけでもないが、菊のやや腥臭ににた青ぐささが、肉体感をもって典侍をくるんでいた。評判がたっていたが、典侍は冷たく誰も相手にしなかった。そこに千種忠文が典侍をつかまえ、つかの間の戯言ののち、典侍を殺す。死んだ後も典侍からは菊の臭いがしていた。典侍の恋人は飛鳥井堯光、彼は北朝方で、典侍に諜報活動をさせるために典侍を吉野に送りこんだのかもしれない。
これもまあまあまあまあといった感じで、とくに述べることもないが、菊の香りを僕は知らないので、どんなもんなのかな。この話は「芳野襍記」というのものに収められているらしい。さてこの「芳野襍記」とはなんだろうか。ネットで調べたがよくわからない。本当に存在するものなのか。
このあたりの短篇は、まだまだ司馬さんの本領発揮ではない。密度も濃くなくて習作ってとこかなと思う。ただ、やはり文章はうまい。