めっぽう面白い。ミシンは和服には適さず、洋服向けというのは知っていたが、にしても西洋式と日本式をいう「二重生活」が議論されていたりしていたとは。
良妻賢母は、教育を身につけ、必要とあらば就職して稼ぐ努力をすることによって、家族と社会に奉仕する。家庭での役割をしっかり果たすことは、公共的義務であると理解されていた(29)
裁縫とミシンは、家族と国民と帝国に奉仕する良妻賢母という理想像の普及努力にきわだったはたらきをみせた(29)
現在、家族観が騒がしいけども、家族観は時代でかなり違うもので。現在の見方から過去の家族観を問題にする際には注意が必要。左派の問題は、新しい家族観が提示できていない事かと思う。ぼくは新しい家族観を提示することはとっても重要だと思うんだな。保守側にはそれなりにあるわけ。だから彼らは強い。
ミシンの価格は月給の2か月分。割賦販売が行われていて、明治、大正期にシンガー社はPRと割賦販売で売り上げを伸ばしてきた。当時からローン払いがいいのか悪いのかの論争があって、ローンを組むことはよく言われるように、借金でもあるし、ある種の貧乏人や算術に弱い女をだます商売だという言説とは逆に、ローンを組むということは、家政をきちんと仕切る能力を要求するからよいという意見など、時代が違っても人間は変わらないなーと。
PRで気取った経済学語彙を使ったりしていたことも書かれている。ここでは「償却」。「御宅デシンガーヲ御使用ニナレバ數ケ月ニチヤントミシン代ヲ償却あし得ラレマス」(89)
んー、今ではカタカナ語なのかな。ここで「償却」という言葉を使うことで、科学的、合理的、論理的な雰囲気を創りだしている。
ミシンは二つの近代性を象徴しているという。一つは合理的な投資という近代性、もう一つは、自由と、生活スタイルと、西洋と結びついた快楽の追究という近代性の象徴だという(92)。洋服の自由さと倹約が統合されている。
知らなかったが、シンガー社のセールスマンだった遠藤政次郎と、裁縫学校をしていた並木伊三郎が現在の文化服装学院が設立さえれる。
雑誌「婦人倶楽部」などでは、ミシンを使っての成功物語が掲載されていった。余暇をつかって洋服をつくって貯金ができましたといった話など。んーなんか現在の株投資に似ている。
裁縫をはじめる動機が職業訓練に限定されず、近代を世コロコンで受け入れる日本文化の、特徴となる美徳だとみらていたという。(120)
手縫いかミシン縫いかの是非、服装における二重生活の功罪をあれほどさかんに議論した人びとは、能率と合理性の価値、ときには自由と個性の価値を、問題なく受け入れていた。彼らは同時に、近代の到来が不可避で不可逆であること、そして、近代における日本らしさ、もしくはその道徳的次元を検討せずに、近代を論するのは不可能であることをも肯定していたのである。(132)
「女袴」なんかも、考えてみれば近代の風景であることを思いもしなかった。20世紀初頭、大正期ごろ、女袴自体がモダンだっというのも思いを馳せることだろう。女学生はこの改革を喜び、女性のからだの解放と美的見地からも喜ばしかったという。そしてこれは「女学生」という特権的身分のしるしとなっている。
「日本」と「西洋」は複雑に絡み合いながら文化は醸成されていった。日本と西洋を固定的なものとして理解することを当時からあり、それに対しての批判も当時からあった。今和次郎の例がでており、西洋ファッションの広がりに可能性を感じていた。それは単なる帝国主義的な文化侵略面のものだけでなくグローバルな近代文化の受容の喜びだったという。
1941年に厚生省主導で国民の標準服プロジェクトが発足され、家庭で仕立てることができることが一つの基準にもなっていた。そしてモンペの受容史も興味深く、農業作業用のモンペが普及していったことに、穿きにくく醜悪であるという批判があったらしい。淡谷のり子は「絶対モンペをはかなかった」と語っていたという(219、『洋服と日本人』より)
モンペは今では強制的に着用されるようになったように思っていたが、どうもそうでもないようだ。どこかの時点で大多数を占め、モンペを穿かなければ非国民と言われる時点があったとは思うが。
戦後において、ミシンのイメージは、性的魅惑、近代科学、家政学が重なり合っている。
実質的な面でも、戦争未亡人が手に職をもって生活をしていくことをPRしていく。1960年代ぐらいまでは服装学校では職業訓練の面が強かったかが、70年代ごろから花嫁修業の一環になっていき短期コースができあがっていく。
専業主婦というのは現在ではマイナスのイメージしかないが、専業主婦はプロフェッショナル主婦でもあり、必ずしも現在ほどのマイナスなイメージがあったわけではない。
大宅壮一の文章が引用されている。これが秀逸。
いいドレスを着たい、美しくなりたいという欲望だけでなく、ネコもシャクシもという流行の心境だけでもない。「ふつうせいぜい県庁の下っぱ役人に稼ぐところ……主任か係長クラスのところにゆける」。自立精神をもって系坐雨滴独立のためにドレスメーカーとして働くか、自分の店をもつか、さらには夫や子供に自分が作った服を着せたいとか、このような気風は「ドライだのウェットだのでは割り切れぬ。ニッポンムスメがふむミシンの音は、ダイナミックな複雑だ(300)
ミシンが織りなす社会史は豊穣だ、
ミシンは近代世界の女性にとっての、かなり幅ひろい理想と役割の正当性を立証したのであって、その幅は、教養を求める者や、グローバルな渦となったスタイルとファッションの世界へのしあわせな参加者から、規律あり技能をもつ消費者にして家庭経営者たる者や、自活できることを誇りとする内職者まで、多岐におよんでいたのである(332)
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