2020/07/07

Fauré, ELEGIE, Quintette pour piano et cordes no 2, Tyssens-Valentin, le quatuor de la R. T. F., CHARLIN, CL11, STEREO/フォーレ、エレジー、ピアノ五重奏曲第二番、ティッサン=ヴァランタン、フランス国営放送四重奏団



Gabriel Urbain Fauré
ELEGIE
Quintette pour piano et cordes no 2
Tyssens-Valentin, piano
le quatuor de la R. T. F.
Jacques Dumont, violin
Louis Perlemuter, violin
Carles Marc, alto
Robert Salles, cello
CHARLIN, CL11, STEREO

このレコード、録音が素晴らしい。申し分ない。
「エレジー」は初めて聞くけど、フォーレらしい曲で。ただ、いかんせん小曲でもあるし。

んでメインのピアノ五重奏曲第2番も素晴らしいとしか言いようがない。
なんでしょうね。フォーレの曲は「静謐」という言葉だけでは語れず、熱量の大きい音楽を作曲していることは確かです。
単純に静かに流れるような曲なんて世の中にいっぱいあるが、フォーレは語ることのできないものを作曲してくれている感じがよくでている。
文学は語れない何かを語るのが文学であるし、音楽も語れない何かを語るのが音楽でもある。
だからショパンの曲というのは、どこか単純に聴こえてしまう。ショパンは語れるものをピアノで語ってしまっている感じがするからだ。
それはベートーヴェンの交響曲なんかもそうで、だからって悪いわけではないが、人間とは複雑な生き物でもあり、愛だとか恋だとか怒りをそのまま表現されても、感情に多くの要素が詰まっていて、そうそう表現できるものではない。
多くの作曲家は単純にしすぎているわけです。でもそれがウケるのも事実だし、それはそれでいい。
ベートーヴェンは後期になればなるほど音楽性がよくなっていき、音楽で音楽を語ることをしていく。つまり抽象度が高くなり、まさに単純さから抜け出していく。
フォーレはまさに音楽で音楽を語る人だったと思われ、「芸術」という言葉自体が近代の発明ではあるが、その体現者がフォーレといってもいい。
バッハのような「技術」ではなく、ショパンのような「単純なロマンティシズム」ではなく、「感性」に訴えかけてくる音楽を作り続けてたと思う。

ピアノ五重奏曲第2番を語ろうとしても語れないわけです。美しいとかしか言えないわけです。フォーレを語ろうとすると常に陳腐な言葉を並べざるを得ない。
この曲が作曲された1919年から1921年というのは、第一次世界大戦が終わり荒廃した状況で、「ヨーロッパの危機」でもあって、フッサールの「生活世界」が喪失していく時代でもあるわけです。
ベルクソンも同時期の人だし、ベルクソンの思想と直接的にフォーレと関係していると思えないが、同時代を生きた両人に共通するのは「意識と時間」の把握の仕方で、持続と緊張が折り重なりあう実存が表現されている。

演奏はティッサン=ヴァランタンと国営放送の四重奏団。
まあつらつらとジャンケレヴィッチ的に書いたけど、いい曲だよ。文句ない。

0 件のコメント:

コメントを投稿