2020/07/06

『主体の解釈学 コレージュ・ド・フランス講義1981-82 ミシェル・フーコー講義集成11』を読む ③

興味深いことに、ここで「自己への配慮」の変化について、かなり慎重に検討している。
「帝国が成立するこの事故に、なにか急激な、突然の出来事が生じて、その結果自己への配慮が急に、一挙に新しいかたりをとるようになった、ということではありません。」
『言葉と物』などでは、「断絶」があり、エピステーメの突然変異を主張していたが、フーコーもまるくなったということでしょうか。
「主体の系譜学」を読み解いていく。非常に興味深い。
基本的に、ここからは現代批判だとかの要素はなく、あくまで歴史家フーコーとして文献を読み解いていく。

ヘレニズム、キリスト教普及の時代。
この時代、自己に配慮することは無条件の原則となり至上命令となる。そして他者の統治とは関係がなくなる。ギリシアでは自己への配慮は、自己と同時に都市への配慮と関係していたが、それが変わってきている。
自己への配慮が単なる認識の活動から自己の実践が問題になっていく。それは生の技法、生存の技法へひろがっていく。
ソクラテスは自己への配慮を青年期の終わりから教えていくことを語っているが、プラトン以後自己への配慮は生涯続けていく恒久的な義務になる。(エピクロスやセネカなどストア派)
ルキアノス『哲学者の売り立て』というテクストでは、壮年期の終わりに自己への配慮の中心を移している。自己への配慮が成人活動にたいする批判要素を含み、矯正の役割がでてくる。そして他者の生活への批判へになっていく。
「いったん固まってしまったとしても、自らを訓練しなおし、矯正し、あるべき姿、しかし一度もそうであったことのなかった姿になることができるようにするための手段」が自己への実践となる。

医術と哲学
医術と哲学の概念の枠組みの同一性がみられる。
ギリシア語のテラぺウエインtherapeueinとは、治療、命令に従事する、そして礼拝を行うことを意味する。
アレクサンドレイアのフィロン『観想的生活について』。
「治療者(テラペウタイ派)」とは、医者は身体と同時に魂も手当てすると主張する。そして存在の崇拝をしているという。
哲学の学校とは何だろうか。哲学の学校、それはiatreion(施療院)である。哲学の学校をでるとき、ひとは楽しんできたのではなく、苦しんできたのでなくてはならない。なぜならあなたは健康であるという理由で、そして実際健康でありながら哲学の学校に来たわけではないからだ。

自己への配慮は自分の魂と身体に同時に配慮すること。老年であることの価値。
ギリシアでは老年であることは、たしかに尊敬の対象ではあったが望ましいものというわけではなかった。老年になることは性欲に煩わされないですむ、といったアイロニーを含む(ソフォクレス)。
セネカは人生を区分し年齢に応じて固有の生活様式をとるべきとする。そしてそれは老年にむかっていく連続的な運動の統一性をなしている。老年は生の終わりではなく、反対に生の極をなすものとして肯定する。老いるために生き、そこではじめて静けさの中、隠れ家で、自己の享受(享楽)を見出すことができる。

他者との関係
知識や技芸の領域に属することを学ぼうとするときには、つねに訓練が、つねに師が必要である……しかしながら、そうした領域(知識や学問、技芸)においては、悪い習慣がつくということはない。たんに知らないというだけのことだ」(152)
無知から知へ移行するには師が必要で、そしてそれは迷妄から抜け出すこと。師は弟子の健康を矯正していく。迷妄stultitiaとはまだ自己の世話をしていないもののこと。
その媒体者こそが哲学者であり、案内人となる。
哲学者とは自己だけでなく他者をも統治したいと思う統治者のことで、弁論術もその一種。弁論によって代謝に働きかける。

フィロデモスのパレーシア
エピクロス派では案内人がおらず、教えるものと教えられるものとの関係は強い感情的な関係、友愛の関係で行わエれていた。
パレーシアとは心を額ていること、二人のパートナーが互いに考えていることを包み隠さず、率直に話し合うことの必要をいう(160)
エピクロス派にとって、一般的に思われている師弟関係ではなかった。どちらかが優れているとかではなく、それは技術の問題となっている。指導の作業が終わると、いずれも同じ水準ものになるという。
ローマになるとそれは顧客の関係、非対称的な関係へと変化している。それは「生存の忠告者」というべきもの。
哲学者は政治的な行動をするようになる。紛争、暗殺、処刑、反乱。
そのとき、日常生活や政治活動の外部の機能が失われていき、忠告や意見と哲学者が同化していく。そして非職業化していき、哲学の厳密な意味での機能を失っていく。それは状況に応じた忠告というかたちとなり、日常の存在様式に同化していく。

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