2019/05/30

『戈壁の匈奴』司馬遼太郎短篇全集一

司馬さんのモンゴル賛歌。イギリスの考古学境界に所属する退役大尉がひとつの玻璃の壺を、寧夏の西で見つけたところから空想がはじまる。チンギスカンは少年の頃、チャオルベという青海のウイグルの商人から、西夏の女こそ、世界でいちばんうまい、ということを聞く。
「この時代、この沙漠民の人生は、ものとおんな、この二つへの強烈な執着で成立っていた。」
「女さえあれば、この男たちの集団は走った。この集団の頭目になる視覚は、これまたたった一つしかない。性欲と好戦欲と略奪欲の人一倍激しい男、こういう男にのみ安心感が置ける」
テムジンは仲間に西夏の女の話をし、小さな軍隊をもつ。そして西夏を城を攻める。しかしテムジンは文明にはじめて接し、その強さを思い知り、撤退する。
「中世蒙古人は、神の産んだ最も卓れた獣であった。」
テムジン、65歳のとき、インド遠征ののち、モンゴル高原に一度戻る。その際少年ころより一緒だった蒙克(マング)とともに「やぶさめる」。そのせいか、突然テムジンは発熱し、一ヶ月ほど寝込む。そののち、西夏への挙兵を決める。
そのとき西夏のリーシェン公主が自らの身体を引き換えに西夏を守ることにする。公主はテムジンのオルドになる夜、玻璃の湯槽っで身体を無心で洗う。テムジンは念願の西夏の女を手に入れる。
その後すぐテムジンは再度熱がでて、西夏の公主とカラコルムに帰る途中で没する。
この小説には、司馬さんが少年の頃から妄想していた蒙古民族なるものが描かれている。一見、モンゴルへのひどい言い方のようだが、これは司馬さんのモンゴル賛歌。
草原を馬に乗って駆け抜けるモンゴル人の、力強さ、素朴さ、そして偉大さを讃えている。
これ以降、司馬遼太郎は小説でモンゴルを題材にしなくなるのかな。『草原の記』というのがあるけど、これは小説というかエッセイに近いし、『韃靼疾風録』は、モンゴルではないし。これから短篇を読み進めていくと、またモンゴルが主題になっている話がでてくるのだろうか。

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