2019/01/05

福田ますみ『でっちあげ』新潮社

マスコミ報道で誤りがあるのは、まあ致し方がないのかと思うのだが、誤報であることが分かった後のメディアの態度がよくない。なんで素直に謝らないのか。意固地になればなるほど信用がなくなるのに。
この本の内容を100%信用できるかどうかはわからないのだけれど、やはりマスメディアは非常に大きな権力を持っていることがわかる。しかも恐ろしいのは、その権力が権力者に向かうのではなく、しがない一般人にむけられることだ。そして、一人ひとりの記者はその大きな権力の一部であり歯車でしかないので、一人ひとりの記者が気を付けていれば済むという話でもなさそうだということだ。
世の中は不思議なもので、推定無罪の原則があるのを多くの人が知っているにもかかわらず、逮捕されれば有罪確定を意味するかのように報道され世の中に浸透する。同じような事件が起こるたびにそうで、実際の事実関係がよくわらないまま、報道が先行する。
財務省の福田氏のセクハラ問題も、あんな中途半端な録音データで何を判断しろというのか、マスコミはその危険性を理解していなのか。テレビでは容疑者の証言が二転三転するということで、容疑者の証言の信憑性を疑う向きもあるが、それは変わるだろうよ。この「でっちあげ」でもそうであるように、当初示談ですむなら、非がないとしても非を認めてしまうこともあるだろうし、問い詰められていれば記憶だってうまく思い出せないこともあるだろう。誰があんなマスコミのリンチを望んでいるのか。なんというかかんというか、本当にこのままではマスコミの信用はなくなってしまうよ。
この本でやはり衝撃をうけるのが、教師のいじめを受けていたとされる子供の親だろう。こういったクレーマーは一定数存在する。本当に困る。マンション住まいだと、ほぼ必ずヤバいやつはいる。んで困るのが、この馬鹿を基準に物事のルールが決まってしまうことだ。あほかと思うような規定が設けられ、フツーの人々の生活が蝕まれていく。
この本では、多くのマスコミの人達は途中から親が変だと気づいていき、報道がトーンダウンしたことが書かれているのだが、訂正もその後の追跡調査も何もないのが怖い。途中から変だと気づいたなら軌道修正すればいいものを。

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