『ヨーロッパの帝国主義 生態学的視点から歴史を見る』 アルフレッド・W・クロスビー、佐々木昭夫訳 筑摩書房
第三章 ノルマン人と十字軍
「東方ではヨーロッパ人は高度な文明をもった人口稠密な地に植民地を建設しようとした。フランク人の帝国主義の勝利の数十年を持ち、聖地に十字軍が存在した期間は、我々の時代にアルジェリアとインドをヨーロッパが支配した期間と同じくらい続いた。だが、十字軍国家は最終的に失敗に終わった。ラテン・キリスト教のファナティシズムをもってしても、土着の諸民族の数での優位を消し去ることはできなかった。とくに疫学的環境が侵略者の敵として作用する場合には、ヨーロッパ人は数で優った現地人を一時的に征服はできても、永久に支配下に置くなどということはとてもできない。」135
第四章 幸多き島々
「中世とルネサンス期にヨーロッパが植民地の獲得を目指した記録を手短に分析してみると、故郷ヨーロッパの境界をはるかに越えた遠い天地にヨーロッパ人が移住して植民地建設に成功するためには、次のことが重要であるとわかる。まず、将来有望な移住地は、その土地の様子や気候がヨーロッパのどこかと似ているような場所になければならない、ということである。ヨーロッパ人と、彼らとの共生しあるいは彼らに寄生する仲間の動植物は、真に異国風の土地に適応するのは不得意だが、適切な土地ならそこを次第に変えて新型のヨーロッパをつくりあげるのはきわめて巧みだった。第二に、将来有望な植民地は旧世界からできるだけ遠く隔たった土地になければならない。そうすれば、ヨーロッパ人と彼らの動植物を餌とするように進化してきた肉食動物や病原菌がいないか、少ないからである。その上遠いということは、その土地の原住民が馬や牛のような大型の家畜を全く持っていないか、もっているとしてもごくわずかであるという事を保証してくれる。つまり侵略者のほうが原住民よりも幅の広い動植物の家族に支えられていることになり、この利点はすぐれた軍事技術などということより、少なくとも長い目で見たときにははるあに重要だった。また、遠い距離ということは、新着者が不可避的に持ち込むことになる病気に対して、原住民が無防備であるということを確実にする。」183
第六章 達し得るが捉え難い土地
「アフリカはヨーロッパ人の手の届くところにある貴重品だった。だが、うっかりつかもうつすれば手に火傷をしてしまう。…アフリカは豊かで、人の気をそそり、しかしどうにもならない」232
「多湿のアメリカが人種的に混交の地になることを決定した最も重要な因子は、病気だった。」アメリカでは、疫病で黒人が大量に死んでも、さらに補充されていった。アフリカでは家畜をふy足すことも作物を増やすことも困難だった。アフリカにはヨーロッパ人の侵入を防ぐものがあった。
第七章 雑草
「オオバコやそのたぐいの植物がなぜ地球の全体を覆い尽くしていないのか、このあたりでひとつ説明しおく必要があるだろう。精力的に移住していく植物、つまり雑草はほとんどいかなる自体が起こっても生を保てるが、ただひとつ成功だけはだめなのだ。乱された土地を引き受けたとき、雑草は土壌を安定させ、焼けるような太陽光線を遮る。あれほど強壮に強かったのに、その場所を他の植物にとって前よりも住みよい場所に変えていく。雑草は植物界の赤十字ともいうべき存在で、生態博的異常事態に対処できるのだ。」277 そしてその後死滅する。この雑草の繁殖と土壌の改良によって、アメリカはネオ・ヨーロッパとなった。ヨーロッパの雑草が、アメリカの風景を一変させているのだ。
第八章 動物
雑草のように、いつのまにか、牛、豚、イヌ、猫、ねずみなどがはびこり、ヨーロッパ化することとなる。
第十二章 結論
「都市化、工業化、人口増加が加速されたとき、イギリスは一世紀半も前に自給自足をあきらめ、一八四六年には「穀物法」を廃止し、外国から輸入する穀物への関税を撤廃した。」470
ヨーロッパの帝国主義が、なぜうまくいったのかを生態学の視点から捕えている。これは結構衝撃的な内容で、歴史の見方を変えるもの。例えば、なぜ産業革命がイギリスだったのか、なぜスペイン・ポルトガルのような小国が世界に植民地を建設できたのか、なぜドイツ、日本は大国になり得なかったのか。そして現在のドイツが新たな帝国主義といわれる理由も見えてくるものだ。
自由主義と共産主義の戦いで、自由主義が勝利したが、多くの識者は共産主義の独裁制や計画経済に原因を帰そうとする。しかし、もともと共産主義国家となった地域はどこも、当時貧しいところばかりで、自由主義の雄であるアメリカ、イギリスの生産性には程遠かった。この事実がかなり歴史の分岐点を決するようなものなのかもしれない。
第三章 ノルマン人と十字軍
「東方ではヨーロッパ人は高度な文明をもった人口稠密な地に植民地を建設しようとした。フランク人の帝国主義の勝利の数十年を持ち、聖地に十字軍が存在した期間は、我々の時代にアルジェリアとインドをヨーロッパが支配した期間と同じくらい続いた。だが、十字軍国家は最終的に失敗に終わった。ラテン・キリスト教のファナティシズムをもってしても、土着の諸民族の数での優位を消し去ることはできなかった。とくに疫学的環境が侵略者の敵として作用する場合には、ヨーロッパ人は数で優った現地人を一時的に征服はできても、永久に支配下に置くなどということはとてもできない。」135
第四章 幸多き島々
「中世とルネサンス期にヨーロッパが植民地の獲得を目指した記録を手短に分析してみると、故郷ヨーロッパの境界をはるかに越えた遠い天地にヨーロッパ人が移住して植民地建設に成功するためには、次のことが重要であるとわかる。まず、将来有望な移住地は、その土地の様子や気候がヨーロッパのどこかと似ているような場所になければならない、ということである。ヨーロッパ人と、彼らとの共生しあるいは彼らに寄生する仲間の動植物は、真に異国風の土地に適応するのは不得意だが、適切な土地ならそこを次第に変えて新型のヨーロッパをつくりあげるのはきわめて巧みだった。第二に、将来有望な植民地は旧世界からできるだけ遠く隔たった土地になければならない。そうすれば、ヨーロッパ人と彼らの動植物を餌とするように進化してきた肉食動物や病原菌がいないか、少ないからである。その上遠いということは、その土地の原住民が馬や牛のような大型の家畜を全く持っていないか、もっているとしてもごくわずかであるという事を保証してくれる。つまり侵略者のほうが原住民よりも幅の広い動植物の家族に支えられていることになり、この利点はすぐれた軍事技術などということより、少なくとも長い目で見たときにははるあに重要だった。また、遠い距離ということは、新着者が不可避的に持ち込むことになる病気に対して、原住民が無防備であるということを確実にする。」183
第六章 達し得るが捉え難い土地
「アフリカはヨーロッパ人の手の届くところにある貴重品だった。だが、うっかりつかもうつすれば手に火傷をしてしまう。…アフリカは豊かで、人の気をそそり、しかしどうにもならない」232
「多湿のアメリカが人種的に混交の地になることを決定した最も重要な因子は、病気だった。」アメリカでは、疫病で黒人が大量に死んでも、さらに補充されていった。アフリカでは家畜をふy足すことも作物を増やすことも困難だった。アフリカにはヨーロッパ人の侵入を防ぐものがあった。
第七章 雑草
「オオバコやそのたぐいの植物がなぜ地球の全体を覆い尽くしていないのか、このあたりでひとつ説明しおく必要があるだろう。精力的に移住していく植物、つまり雑草はほとんどいかなる自体が起こっても生を保てるが、ただひとつ成功だけはだめなのだ。乱された土地を引き受けたとき、雑草は土壌を安定させ、焼けるような太陽光線を遮る。あれほど強壮に強かったのに、その場所を他の植物にとって前よりも住みよい場所に変えていく。雑草は植物界の赤十字ともいうべき存在で、生態博的異常事態に対処できるのだ。」277 そしてその後死滅する。この雑草の繁殖と土壌の改良によって、アメリカはネオ・ヨーロッパとなった。ヨーロッパの雑草が、アメリカの風景を一変させているのだ。
第八章 動物
雑草のように、いつのまにか、牛、豚、イヌ、猫、ねずみなどがはびこり、ヨーロッパ化することとなる。
第十二章 結論
「都市化、工業化、人口増加が加速されたとき、イギリスは一世紀半も前に自給自足をあきらめ、一八四六年には「穀物法」を廃止し、外国から輸入する穀物への関税を撤廃した。」470
ヨーロッパの帝国主義が、なぜうまくいったのかを生態学の視点から捕えている。これは結構衝撃的な内容で、歴史の見方を変えるもの。例えば、なぜ産業革命がイギリスだったのか、なぜスペイン・ポルトガルのような小国が世界に植民地を建設できたのか、なぜドイツ、日本は大国になり得なかったのか。そして現在のドイツが新たな帝国主義といわれる理由も見えてくるものだ。
自由主義と共産主義の戦いで、自由主義が勝利したが、多くの識者は共産主義の独裁制や計画経済に原因を帰そうとする。しかし、もともと共産主義国家となった地域はどこも、当時貧しいところばかりで、自由主義の雄であるアメリカ、イギリスの生産性には程遠かった。この事実がかなり歴史の分岐点を決するようなものなのかもしれない。
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