2017/11/11

『イノセントデイズ』 早見和真 新潮社

メディアで繰り広げられる犯人像と実際の人物とは違うのだということは、多くの人が共有している事実だと思われる。このあたりを小説で書くことで、読者は愚民どもの上に立ったと錯覚できるものにできあがっている。周りの人間はメディアに踊らされた愚民で、自分は客観的にものを見ているといった思い違いだ。

描き方がすべてにおいて中途半端と言わざるを得ない。
まず第一に幸乃がなぜ不幸なのかが中途半端だ。たとえば友人の罪を被った際、少年院だかどこかに送致されるが、ここでの生活が全く書かれていないため、中学時代から一気に20代になっており、いつから幸乃はこんなに卑屈になり、心を閉ざしてしまっているかがよくわからない。そこで身を守る術、心を閉ざす術を学んだと書かれているが、幸乃がそうする必然性がどうもわからない。友人の罪をかぶったのだって、自分からだった。にもかかわらずこの小説では、「友人の裏切り」として描いている。
幸乃自身が、多くの人に裏切られたと言っているが、小説に書かれている裏切りは継父や祖母ぐらいで、我々読者には「多く」とは言えない。

次に、登場人物の書かれた方が中途半端。祖母はなぜ幸乃を必要としたのか、よくわからない。
翔はなぜ忘れていた幸乃を急に手助けしようとしたのか、よくわからない。
翔の誕生日がなぜ敬老の日に設定されているのか、よくわからない。
姉陽子が幸乃の事件をどう考えていたのか、よくわからない。涙がでなかったと書かれているが、どういうことなのか。陽子の気持ちが宙ぶらりんのままだ。
産科医の翔のじいさんの回想以降、じいさんは何度か登場するが、幸乃のことを知らないかのような感じだが、それではじいさんの孫が翔である必要性がなくなってしまう。この関係が全く生かされていない。
とまあきりがないのでやめておく。

整形した意味がよくわからない。もう一度やり直すためということだけど、なんだかね。「整形シンデレラ」というコンセプトがあって、そのあと理由を考えた感じかな。
桜の花びらのこと、それに塗りつけられた匂いのこと、何にも説明がない。小説のなかで、花びらも匂いもなにも出て来やしないのに突然すぎる。伏線がまったくない。こういうのが多い。

さらに、真犯人について。これはミステリーでたまに見かけるが、全く物語の中心とは関係ない人物が、突然犯人でしたというやつです。
この小説はミステリーではないが、ちょっと微妙な読後感でしょう。幸乃の冤罪ありきでむりやりとってきたようなやり方だ。
いただけないのは幸乃がこの事件をすべて引き受ける際の覚悟というか思いだ。なぜこの事件の罪を引き受けたのか。中学生のころの場合は、ある程度それがあった。未来がないと思うしかない自分が傷害と窃盗の罪を負い、ただ一人の友人を助けたいというか、そうするしか道がないと思わせるものがあった。ただ、この話の要である事件を引き受ける理由、縁というか、そういうものがない。

最後に、せっかく途中まで群像劇のような運びをしてるのだから、最後までそれを貫くべきだった。
メディアがしている報道のリンチ、未来を見ることができない人間の絶望、よいテーマなのに描き方が中途半端なため、表層的な作品となっている。

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