また、本屋に行ったら文庫落ちしてた。いつ買ったのかは覚えてないが、10年はたつ。たしか前間さんの他の本を読んで、面白かったし、たまたま古本屋で見つけて買ったと思う。
ピアノの生産について
ピアノというのは木材だけでなく金属材料も使われる。それはまさに近代工業の発展が、そのままピアノの発展でもあり、その国の産業の衰退とも重なっている。
スタンウェイが隆盛を極めていた時代、まさにアメリカの黄金期であったし、かわってイギリス、フランスの衰退はピアノメーカーの衰退も意味していた。
ピアノは木工や塗装などの手仕上げを必要とする面と、弦やフレームなどの近代工業で生産しなければならない金属部品もふくまれている。感覚に頼る組み立てや調律、調性は職人芸であり、大量生産をしなければコストを削減できず、近代的経営体制において事業の継続も難しい。
フォードシステムは近代産業に転換をせまるもので、考えてみればマクドナルドなんかもフォード・システムで、アメリカという国はこのシステムをけっこう伝統として育んでいるのかもしれない。だからこそファーストフードの先進国でもあるわけだ。
日本楽器二代目社長川上嘉市は工学部出身らしく、量産方式や品質管理を導入していく。さらに非常に主観的な要素である音の良し悪しを、航空機研究で使われていたオシオグラフで表わし、客観的な判断をできるようにしていく。
川上が行ったことは、産業合理化運動であり、科学的管理法そのものだった。驚くべきはこの方針が1920年代から30年代にかけて行われていたことで、すごいじゃないですか。
この工学的な話が詳しく書かれているのが、おそらく前間さんによると思う。
ピアノ製造というものが大量生産、ライン作業をともなう近代工業であるという視点は、ふつう音楽に携わる人にとってはかかわりたくないところだと思う。ピアノってもっとロマンあるものと思いがちだし。
ヤマハ、カワイは、単なる楽器メーカー以上の会社で、半導体や金属素材なども手がけている(た)。知らなかったが、自分で鋳造しちゃうらしい。
戦前のこと
労働争議で、河合小市や山葉直吉は会社を離れ、ドイツ人技術者のシュレーゲルがヤマハを改革していく。それによってそれまでスタインウェイ路線からドイツ、ベヒシュタインの方向へ舵がきられたという。河合は退職後、河合楽器製作所を設立させる。
戦前、ヤマハ以外でもさまざまな中小メーカーが独自にピアノを製造していたというのは知らなんだ。数はなんと30種近かったという。ただヤマハ、カワイのシェアは圧倒的だったが。
戦中のこと
知らなかったけどヤマハは木製プロペラを戦中、製造していたというのだ。
やはり第二次世界大戦というのは最悪なものだったんだな。戦中、ピアノが作れなくなる。しかも政府や軍閥はピアノ製造を禁止にしようとするため、「音楽は軍需品なり」「楽器も併記なり」「音感教育が飛行機の爆音の聞き分けや機種の判別に役立つ」と説明し、技術を温存させようと日本楽器東京支店の木村健次さんはしていたという。
なんと。ばかばかしい時代だこと。この戦争には一片の正義もねえ。
ただ先の「爆音の聞き分け」については実際に実験が行われていて、ピアニスト園田高弘さんは実際やっていたらしく、しかも正答率が95%という。すげえな。
戦後のこと
日本楽器の戦後は川上源一新社長から動きはじめる。
TWI(Training Within Industry for Supervisor)という監督社向け職場訓練を、生産工場のために組み入れていく。これにより工場管理手法がそれまでどうしてもピアノ製造では家内制手工業的なところがあったが、さらに現代的な工場へと転換していく。一つ一つの生産ラインの「改善」、社内のモラルの向上と意識改革など、アメリカで生まれ進化していった工場経営手法が導入されていく。
ここで、川上源一はアメリカを視察した際に、アメリカの効率的な生産ラインや従業員のモラルに驚く。後者のモラルというのが、なかなかおもしろい。1950年代のアメリカはまさに最後の黄金時代だ。ふつうアメリカの工場従業員がモラルがあるなんて表現はしないもので、僕も正直アメリカの工場従業員がモラルが高いというふうには考えたことがない。仕事柄、アメリカの工場視察をするが、モラルがいいなんて思ったこともない。
ミケランジェリとタローネと村上輝久
1965年にミケランジェリが初来日して、その演奏とピアノが衝撃だったという。そして調律師として一緒にきていたのがイタリアの調律師でもありピアノ設計者でもあるタローネで、これを機にヤマハはタローネはヤマハに招き、ピアノの製作をしたという。そしてそのピアノはこれまで制作してきたヤマハの音とは全く違う音だという。木の乾燥は時間がなくてあまりできなかったようだが、弦の張り方、材質だけではんくあゆるパーツが異なっていたが、構造が違うだけでやはり音は全く違うようで。
村上さんはリヒテルの調律師として有名だが、彼の調律がヴィルヘルム・ケンプやシフラなんかからも賞賛されていたんですね。
ヤマハの成功
戦後、人件費や物価の高騰でアメリカ製の製品の品質が下がっていく。ピアノも例外ではなく、そこにヤマハが食い込む。安くて品質の良いピアノをアメリカに輸出しまくる。しかもヤマハ音楽教室という日本型のお稽古もアメリカに輸入してたとは。いまどうなっているのか。アメリカではヤマハ音楽教室って有名なのか。
日本には伝統がない、だからこそ本当に良いものができる。ヨーロッパは伝統がありすぎる、だからあたらしいものに変えられない。
ヤマハのピアノがコンクールで使われるようになったのは80年代からというので、思えばつい最近のこと。
本書は前間さんが絡んでいることもあり工学の視点からも書かれていて、単なる日本のピアノの隆盛で終わっていないところがいい。
岩野さんの本は読んでいないけど、満州のオーケストラについて書いているというので、今度読んでみよう。
ピアノの生産について
ピアノというのは木材だけでなく金属材料も使われる。それはまさに近代工業の発展が、そのままピアノの発展でもあり、その国の産業の衰退とも重なっている。
スタンウェイが隆盛を極めていた時代、まさにアメリカの黄金期であったし、かわってイギリス、フランスの衰退はピアノメーカーの衰退も意味していた。
ピアノは木工や塗装などの手仕上げを必要とする面と、弦やフレームなどの近代工業で生産しなければならない金属部品もふくまれている。感覚に頼る組み立てや調律、調性は職人芸であり、大量生産をしなければコストを削減できず、近代的経営体制において事業の継続も難しい。
フォードシステムは近代産業に転換をせまるもので、考えてみればマクドナルドなんかもフォード・システムで、アメリカという国はこのシステムをけっこう伝統として育んでいるのかもしれない。だからこそファーストフードの先進国でもあるわけだ。
日本楽器二代目社長川上嘉市は工学部出身らしく、量産方式や品質管理を導入していく。さらに非常に主観的な要素である音の良し悪しを、航空機研究で使われていたオシオグラフで表わし、客観的な判断をできるようにしていく。
川上が行ったことは、産業合理化運動であり、科学的管理法そのものだった。驚くべきはこの方針が1920年代から30年代にかけて行われていたことで、すごいじゃないですか。
この工学的な話が詳しく書かれているのが、おそらく前間さんによると思う。
ピアノ製造というものが大量生産、ライン作業をともなう近代工業であるという視点は、ふつう音楽に携わる人にとってはかかわりたくないところだと思う。ピアノってもっとロマンあるものと思いがちだし。
ヤマハ、カワイは、単なる楽器メーカー以上の会社で、半導体や金属素材なども手がけている(た)。知らなかったが、自分で鋳造しちゃうらしい。
戦前のこと
労働争議で、河合小市や山葉直吉は会社を離れ、ドイツ人技術者のシュレーゲルがヤマハを改革していく。それによってそれまでスタインウェイ路線からドイツ、ベヒシュタインの方向へ舵がきられたという。河合は退職後、河合楽器製作所を設立させる。
戦前、ヤマハ以外でもさまざまな中小メーカーが独自にピアノを製造していたというのは知らなんだ。数はなんと30種近かったという。ただヤマハ、カワイのシェアは圧倒的だったが。
戦中のこと
知らなかったけどヤマハは木製プロペラを戦中、製造していたというのだ。
やはり第二次世界大戦というのは最悪なものだったんだな。戦中、ピアノが作れなくなる。しかも政府や軍閥はピアノ製造を禁止にしようとするため、「音楽は軍需品なり」「楽器も併記なり」「音感教育が飛行機の爆音の聞き分けや機種の判別に役立つ」と説明し、技術を温存させようと日本楽器東京支店の木村健次さんはしていたという。
なんと。ばかばかしい時代だこと。この戦争には一片の正義もねえ。
ただ先の「爆音の聞き分け」については実際に実験が行われていて、ピアニスト園田高弘さんは実際やっていたらしく、しかも正答率が95%という。すげえな。
戦後のこと
日本楽器の戦後は川上源一新社長から動きはじめる。
TWI(Training Within Industry for Supervisor)という監督社向け職場訓練を、生産工場のために組み入れていく。これにより工場管理手法がそれまでどうしてもピアノ製造では家内制手工業的なところがあったが、さらに現代的な工場へと転換していく。一つ一つの生産ラインの「改善」、社内のモラルの向上と意識改革など、アメリカで生まれ進化していった工場経営手法が導入されていく。
ここで、川上源一はアメリカを視察した際に、アメリカの効率的な生産ラインや従業員のモラルに驚く。後者のモラルというのが、なかなかおもしろい。1950年代のアメリカはまさに最後の黄金時代だ。ふつうアメリカの工場従業員がモラルがあるなんて表現はしないもので、僕も正直アメリカの工場従業員がモラルが高いというふうには考えたことがない。仕事柄、アメリカの工場視察をするが、モラルがいいなんて思ったこともない。
ミケランジェリとタローネと村上輝久
1965年にミケランジェリが初来日して、その演奏とピアノが衝撃だったという。そして調律師として一緒にきていたのがイタリアの調律師でもありピアノ設計者でもあるタローネで、これを機にヤマハはタローネはヤマハに招き、ピアノの製作をしたという。そしてそのピアノはこれまで制作してきたヤマハの音とは全く違う音だという。木の乾燥は時間がなくてあまりできなかったようだが、弦の張り方、材質だけではんくあゆるパーツが異なっていたが、構造が違うだけでやはり音は全く違うようで。
村上さんはリヒテルの調律師として有名だが、彼の調律がヴィルヘルム・ケンプやシフラなんかからも賞賛されていたんですね。
ヤマハの成功
戦後、人件費や物価の高騰でアメリカ製の製品の品質が下がっていく。ピアノも例外ではなく、そこにヤマハが食い込む。安くて品質の良いピアノをアメリカに輸出しまくる。しかもヤマハ音楽教室という日本型のお稽古もアメリカに輸入してたとは。いまどうなっているのか。アメリカではヤマハ音楽教室って有名なのか。
日本には伝統がない、だからこそ本当に良いものができる。ヨーロッパは伝統がありすぎる、だからあたらしいものに変えられない。
ヤマハのピアノがコンクールで使われるようになったのは80年代からというので、思えばつい最近のこと。
本書は前間さんが絡んでいることもあり工学の視点からも書かれていて、単なる日本のピアノの隆盛で終わっていないところがいい。
岩野さんの本は読んでいないけど、満州のオーケストラについて書いているというので、今度読んでみよう。
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