2018/08/18

『プロテスタンティズム――宗教改革から現代政治まで』深井智朗 中央公論新社

なかなか興味深い指摘をしてくれている。非常に良い本だと思う。
ルターの宗教改革は一種の神話化していて、ドイツ・ナショナリズム高揚のためにことあるごとに使われていたという。それは第一次世界大戦、第二次世界大戦だけでなく、東ドイツでは共産主義革命と宗教改革をだぶらせるようなメディア戦略が行われていたと言うのだ。以下はメモ。非常に勉強になりました。

プロテスタントという名称は、ドイツでは福音主義と呼ぶ。
そしてルター自身、新たな宗派をたちあげるという感覚は全くなく、あくまでカトリックの立場でカトリックを改革するべきという立場であった。
贖宥状の発行が、当時のヨーロッパの人々、とくにドイツ(ボヘミア)の人々には非常に魅力的だったというのだ。自らの罪を他者が代行して償うというゲルマン世界特有の法理念があって、それとキリスト教がまじりあっていると言うのだ。
最初のほうはヨーロッパ史のおさらい。神聖ローマ帝国とローマ教会の関係など。神聖ローマ皇帝、つまりドイツ皇帝は歴史的にローマ教皇の権威があってこその存在。
なんとルターは、ヴィッテンベルグ城の教会に「95か条の提題」をハンマーで打ち付けなかったと言うのだ。ふざけるな。僕はこれまでずっとルターのこの英雄的行動を信じていたのだ。
ルターの神学について、ちょっとした解説。普通の人が、善い行いをして天国にいくというのはできない。義人とは、神と正しい関係をもてる人のことを指す。この義人が天国へと人々を見tびく。神は義を与えるが、全ての人に与えるのではない。修行した人に与えるのでもない。神は自らを信じるものに義を与える。そしてその義人がイエスだという。ここで救いは受動的になる。信じれば救われるものとなる。
驚くべきことにルターは1521年に破門されてから、今日までこの破門が解かれていないというのだ。
アウグスブルクの宗教和議について。領主の宗派がその領域の宗派を決めるという取り決めだたり、実効性がないため、実際それほど画期的なものではなかったという。フランス、イギリスに送れて19世紀にようやく統一は成し遂げたドイツの、「近代のはじまり」として利用された節があるようだ。
「宗教改革は中世に属する」トレルチ
古プロテスタンティズムと新プロテスタンティズムという分け方。ルター派やカルヴァン派などは保守的な勢力となっていて、また政治上の立ち位置はカトリックと変わらない。つまり神学も道徳も領主と教会との緊張関係のなかで決められる。すなわち教会は政治的支配制度の一部であり、まさに政治的な機構一部として認められる存在であるということ。そういう意味で宗教改革は中世に属する。
新プロテスタンティズムは個人が選択するもの。生まれながら属する宗教を決められるのではなく、自らが医師をもって選択することに注力しており、それゆえ布教するにも説教するにもいろいろと工夫がなされている。新プロテスタンティズムが、デモクラシーや自由主義を生み出したわけではないが、これらの近代を担った運動であったことは間違いない。
ドイツ統一ににもたらされた「ドイツ的なもの」とプロテスタンティズム、そしてルターの宗教改革の先駆性という神話の構築。つまりピューリタン革命やフランス革命よりも早い時期に「近代」を説いていたというやつ。ナショナルアイデンティティの形成。
第一次世界大戦の敗戦によって、共和制へ移行。その過程でルター派が追い出される。なぜならば王政とルター派は結びついていたから。面白いのがヴァイマール期で勢力を拡大したのがカトリックということ。というのもカトリックはバチカンを中心に世界的な組織で国際的であるため、時代の要請に適合していたということ。
ナチスはルターを利用したが、ルター派教会は積極的には協力しなかったにせよ、否定もしなかった。ルター派はドイツでは保守であり、近年移民問題などから教会にくる人々が増えたという。それはドイツ的なものをもとめてのこかもしれないという。ここで興味深いのは、このような近年の動きにルター派は忸怩たる思いがあるということ。彼らはナチに協力しなかったにせよ、否定もしなかった。その後多様性と寛容を発信してきたにもかかわらず、どうも理解されていないと。またここで保守思想の一つ重要な指摘をしている。
「戦後のプロテスタンティズムは、単なる宗派の独善的な優位性の主張ではなく、多宗派共存のためのシステム構築の努力を続けた。プロテスタンティズムとは、カトリシズムとの闘いを続け、その独自性を排他的に主張してきた宗派であるだけでなく、複数化した宗派の中で、共存の可能性を絶えず考え続けてきたしゅうはであり、むしろ後者が私たちの今後の生き方だと主張するようになった。このような仕方で戦後もドイツのプロテスタンティズムは国家と歩みを共にした」158
またイスラムの授業を公立の学校で選択できるようにするということについて、「この改革を支持しているのがルター派である点だ。たしかにルター派は社会の保守層を支持母体とし、保守的な勢力として、社会の多元化を嫌い、不寛容な排他主義を容認し」てきたが、「他方でルターをはじめとするプロテスタンティズムは、そのような不毛とも思える争いを終わらせ、政治や宗教における様々な見解がとりあえず共存可能な社会システムを作り上げ」てきた勢力でもある。だから、極端な排他主義、かつては洗礼主義、を否定した。

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