1 古代・中世
第一章 磁気学のはじまりーー古代ギリシャ
第二章 ヘレニズムの時代
第三章 ローマ帝国の時代
「古代ギリシャは、遠隔的に作用するように見える磁力を原子論やプラトンのような眼に見えない部室の近接作用に還元するか、それともタレスのように霊的で生命的な働きとみるか(物活論)、その二通りの路線において説明する思想をはじめて生み出」す。54
類似のものは引き合うろいうデモクリトスのテーゼ。
「自然界はつねに変化しているが、しかしきまった趣旨からはかならずきまった木が成長しきまった果実が稔りそして元とおなじ趣旨が得られ料に、その外見上の変化をつらぬいて一定不変のものが維持されているという観察」65
アリストテレスにおよると、動くものは何かに動かされているとする。その何かを「動因力」という。自然運動にしても何かしらによって動かされているとする。
そこでみずから動くことなくほかを動かす運動を第一原因とした。この力によって宇宙の惑星や太陽、月は動かされている。この場合、他を動かす力は磁石に見出すことができ、第一原因と組み合わせるとバツが悪い。ここまでが無生物の議論。
そこで、身体を動かすのは「霊魂」なので、磁石にも霊魂があるというしたが、どう考えても鉱物なので、どの分類にも入れることができなかった。
「ローマ社会において、その後のキリスト教中世における磁石と磁力にたいする死生、ひいては自然ちょく一般の理解の原型がほぼすべて形勢されることになった。
第一に、磁石の働きを生物のなぞらえて見る生物態的視点の浸透、第二に、磁石には物理的な作用があるだけではなく生理的な作用さらには超自然的な能力が備わっているという想念の普及、そして第三に、自然蛮勇のあいだの共感と反感の網の目でもって自然の働きが成り立っているという自然観の形成である。」127
第四章 中世キリスト教世界
第五章 中世社会の転換と磁石の指向性の発見
第六章 トマス・アクィナスの磁力理解
第七章 ロジャー・ベーコンと磁力の伝播
第八章 ペトロス・ペレグリヌスと『磁気書簡』
「アウグスティヌスは、プラトンのイデア界と天にある神の国を同一視し、現実の自然界と人間界をその下にある邪悪に満ちた世界とみなし、それゆえ自然研究を聖書研究の下位に置いた」130不可思議なこと、奇蹟を説明できないのは、それが「人間の精神の力をこえているから」。つまり奇蹟や自然の不思議なチカラは神の啓示であり、その偉大さの顕現とした。すなわち二元のできることは、その理由を解くことではなく自然に示された神の救済の意志を読み取ること。故に知的好奇心は肉体的欲望と同様に忌むべき欲求とされた。
中世キリスト教世界において、磁石と磁力は魔術的な世界、そしてプリニウス的な世界観を保持し続けた。
13世紀に大きな転換を見る。アルベルトゥス・マグヌスの弟子のトマス・アクィナスがスコラ哲学を陥穽させたころ、ペレグリヌスやロジャー・ベーコンらが活躍し始める。この時期にイベリア半島はレコンキスタを完了する。シチリアもキリスト教国として安定した時期となる。イスラームとビザンツ世界との接触があり、古代の発見をみる。またルイ9世の統治、ドイツの都市自治の拡大など新興ブルジョアジーの土壌が形成されていく。これが、トマス・アクィナスやロジャー・ベーコンの登場する背景となる。
12世紀に航海用コンパスの使用がみられる。中国では11世紀には文献にみられ指針性もしられていたが。フリードリヒ2世のことが書かれている。この王についてはいろいろと面白そうなのだが、これは何か機会に、本を読んでみよう。『皇帝フリードリヒ二世』カントロヴィッチ著なんかか。
トマス・アクィナスの自然学はアリストテレスのものと同じ。運動については214を読む。形相と質料などのアリストテレス哲学の用語の説明があり。トマスの場合、「本質とは事物の定義によって表示されるものである」というように、実験や観察によって得られることを重視しない。「根本は、事物の属性やふるまいは事物の自然本性が正しく把握されたならば、そこから論理的な推論で」演繹できるものとする。
「「運動の第一原因」すなわち「神」が恒星天球を動かしている。そしてその下にある惑星天球はまた、その第一原因に服している非質料的実体によって動かされている。…「もろもろの物体のうちで包むものであるものの方が、より形相的で、しかもこのことによって高貴で完全であり、」そのため「その天球が秩序づけられる上位の惑星は下位の惑星よりいっそう普遍的な力のうちにあり、…いっそう永続的な影響を与える。」」224-225
「ところでアリストテレス自然学においては惑星天球を動かすこの「力」は、離存的で非質料的な実体すなわち「天使」の働きであった」225
ロジャー・ベーコンはトマス・アクィナスと同時代の人物。自然学における経験と数学の重要性を指摘したが、磁力の謎については、デモクリトス、プラトン、そしてアリストテレスの論理の再解釈の域にとまっていた。
そこに近代的な磁石についての文献が登場する。『磁力書簡』では、両磁極とその引力・斥力の相関について見いだせたり、計画的で能動的な実験や観察を見出すことができる。ペレグリヌスはおそらくは「高級職人」だったのではないという。まさしく技術者であり、職人といえる。そのため、トマス・アクィナスやロジャー・ベーコンのような磁石理解とは一線を隠したものとなっているし、『磁力書簡』も、磁石についての存在論的な戯れは書かれていない。おそらく、イスラーム社会との接触によって、当時最先端をいっていたイスラームからかなり影響があったと思われる。ここに、中世の言説からの離脱を伺うことができる。
2 ルネサンス
第九章 ニコラウス・クザーヌスと磁力の量化
「クザーヌスにとって神は「端的にかつ絶対的に最大のもの」であり、したがって「対立物の一致」である。というのも最大のものは最小のものに一致しているからである。そのことは、たとえば無限な円が無限な直線に一致することで例証される。このように神は「無限な真理」であるがゆえに「われわれには把握されえない仕方でそれに到着するより以外に道はない。」そのわけは、…ここで彼は神の存在ではなく神の認識を問題としているのであるが、認識について彼の基本的な把握は「探求者はすべて、不確実なことを、前もって措定された確かなことと比較し、比的に判断する。どんな探求もみな比を媒介としてもちいるがゆえに、比較的な探求である。」というものである。とするならば「無限なものの有限なものに対する比は存在しない」がゆえに、「有限な知性」であるわたしたちには神は認識しえないことになる。つまるところ、既知の事実と比較という有限の思考過程の積み重ねによってしか物事を知り得ない私達人間の知性は、無限ある神・絶対的な真理には到達し得ないのであり、「真理の厳密世は、われわれの無知の闇のなかに、把握されない仕方で光っている」のである。そしてこのことを自覚することこそが、あるいは無知に徹することによって無限な神に近づくことこそが「知ある無知」だとされる。それは、一言で言うならば、「近寄りえないものにわれわれを近寄らせるのは、われわれの力ではなくて、…彼(神)の力である」ことを知ることにある。」309ー310
すなわちクザーヌスは、有限なものを相対化することの重要性を説いている。神を認識できずとも、有限を積み重ねることですこしでも無限に近づくことの営みのなかに自然学を位置付ている。そして、比重の測定、重量測定を重要視し、数量化を推し進めていた。定量化こそが自然認識の基本と据えたという。
第十章 古代の発見と前期ルネサンスの魔術
ルネサンス人にとって、自然は象徴と隠喩の集合体であった。大いなる存在の連鎖というやつか。1400年代の魔術は新プラトン主義、ヘルメス主義の影響が大きい。1500年代はロジャー・ベーコンの影響を見出される。1400年代、前期ルネサンスの頃、プラトンの発見、ヘルメス文書の翻訳、古代ギリシャの異教との接触によって、オカルト哲学が流行る。オカルト、すなわち「隠された力」を解き明かそうとするのだが、この時代はまだ書物偏重であり、実験や観察を重要視していない。思弁的かつ衒学的な解釈であり哲学となっている。
第十一章 大航海時代と偏角の発見
第十二章 ロバート・ノーマンと『新しい引力』
磁石が鉄を引き寄せることは中世後期にはヨーロッパで広まっていたという。航海用コンパスの製作者の間で、偏角の存在も知られていた。そして伏角の発見とあわせて、地球のr下位を大きく変えていく。中世まであった、磁石の山や天の極から力を得ているという認識が、地球の極からら引かれているという認識への変革。北極星が引いているのではなく、地球磁場が原因となる。ノーマンの『新しい引力』は伏角を生み出す力の測定のために、ある仮説をたてそれを検証するために計画し、実験をおこなったという合理的な思考と方法を貫いている。まさにイギリスが一流国となっていた時代、十六世紀から十七世紀中葉。実学の萌芽がみられるのだ。
ジョン・ディー、科学啓蒙運動の第一人者でもあり、ヘルメス、ルネサンス魔術の信奉者。ディーは、書物偏重であった当時の学問を実用的実際的な術とすべき技術者や職人をもとめていた。つまりディーのなかでは、ルネサンス魔術と技術への問いが混在していた。
第十三章 鉱業の発展と磁力の特異性
第十四章 パラケルススと磁気治療
第十五章 後期ルネサンスの魔術思想とその変貌
グーテンベルグの印刷術により書物の出版が盛況となる。当時、知識人たちはラテン語で書物を著していたが、印刷業者にとって利潤を追うには、知識人に売るのでは読者数は限られる。そのため母国語で書かれている書物を印刷することが頻繁となる。産業と貨幣経済の発展によって、そして戦争による重火器の拡大で、金属の使用量は急増していく。ここで技術が閉じられたギルド的な世界を飛び出し、公表されるものとなっていく。技術者のための技術書や経営術などの書物が出版されるようになっていた。秘儀が秘儀ではなくなってきた。そこには魔術的で衒学的な記述はなくなり実際的な記述となり、必要とされていった。にもかかわらず、まだこの時代においては磁石と磁力は中世的な認識を捨てられることなく、生き延びていた。
パラケルススの医学もそうだ。彼は近代医学の出発点のように見られているが彼の言う経験や実践はかならずしも近代的な意味をもたない。彼は、民間療法、呪術師による祈祷、土俗的な治療法など多くのものを受け入れ、その意味で自然魔術であった。パラケルススは磁石の治療を検証していた。共感と反感という古代からの自然観にそっていた。その中で武器軟膏という、遠隔的な治療法まで行っていた。パラケルススの医学は、ガレノスのようなアリストテレス医学ではく、ヘルメス主義かつキリスト教的哲学を与えてくれるものだった。彼の「化学哲学」は基本的には大宇宙としての天と小宇宙としての人間の照応と調和に基づき天の力を人間が操作し使役するというヘルメス主義であった。504
「そして魔術が自然魔術であるかぎり自然にはんしないこと、自然の内在的な力と法則に支配されていることの強調こそが、一五〇〇年代ルネサンスにおける魔術思想を特徴づけるものである。ポンポナッツィのように、奇蹟た自然の不思議さは、自然的要因によって引き起こされるもので、ただその自然的要因がなんだかわからないとしてた。彼にとって魔術は、実用的なものであり真正の科学のことだったようで、彼の言説は無神論とも取れる。オカルト、隠れた力を経験的で実験的な方法で解く自然魔術にとって、磁力や静電気力は格好のテーマとなっていた。
第十六章 デッラ・ポルタの磁力研究
デッラ・ポルタの『自然魔術』という書物は、魔術と入っているが、それは近代における光学や磁気学などの実験物理学を扱っており、さらには実際的な知識の集大成のような内容となっている。この後、イギリスでは機械論が主流となり、魔術への関心ががなくなる。「魔術」という言葉がもつ広がりが、この書物の目次をみると驚かされる。家財の増やし方から化粧方法、狩について、気学についてなど、まさにすべてが詰まっている。磁石については鉄に対する磁化作用もまた遠隔操作であり、さらに磁力は距離によって減衰することを語っている。また「力の作用圏」というものを導入する。魔術と科学の違いは公開性にあるように言われているが、必ずしも科学が秘匿体質をすぐに脱却できたわけではない。数学の方程式は私有財産として秘匿していたケースも有る。600 そもそもデッラ・ポルタの『自然魔術』自体が一般向けに書かれた書物となっている。印刷技術は魔術の神秘性も脱色していった。デッラ・ポルタの『自然魔術』は、魔術の大衆化を促した。
3 近代の始まり
第十七章 ウィリアム・ギルバートの『磁石論』
近代電磁気学の出発点とされる『磁石論』は1600年に出版された。これは多くをデッラ・ポルタに負っている。「ギルバートの新しさ、つまり『磁石論』を真に先跋をみないものと特徴つけているのは、実験そのものではなくその動機づけ、そして実験結果に彼が与えた意味と解釈にある。…真に先駆的な功績は、なんといっても地球が一個の巨大な磁石であるという発見であるが…ベーコン的な意味で帰納されたものではない。…ギルバートのかなり空想的な、そう言って悪ければスコラ的な議論ーー「磁気哲学」ーーに身を委ねているのである。…ギルバートが十七世紀に与えた影響はなにはさておき磁気哲学にあった」614-615
彼の琥珀現象に関する議論が電気学を推し進めるものとなったが、そもそも磁気哲学とは関係な代物だったが。「琥珀現象は電気的物質が他のさまざまな物体に外から力を行使する結果であるけれども、磁気現象は特殊な磁性体どうしの内在的衝動によって生じる自己運動であるというのが、ギルバートの基本的見解であった」621 さらに地球が霊魂を有する生命体とみている。これは一種のアリストテレスへの回帰と見ることもできる。むしろまさにそうだったようだ。だからこそ彼は地動説を支持し得た。しかしこの物活論的、霊魂論的な思想が、十七世紀の物理学の発展に大きく寄与した。
第十八章 磁気哲学とヨハネス・ケプラー
ケプラーの発想も近代的なものとは言えなかった。宇宙には秩序と調和が存在し、神による完全な構造物と宇宙をみなしていた。つまりは彼はプラトン・ピュタゴラス主義をとっていた。しかし「ケプラーによる天文学の改革は、たんに太陽を中心におき、また円軌道を楕円軌道にとりかえたことにとどまらない。彼の改革の本質的な点は、惑星運動の動員として太陽が惑星に及ぼす力という観念を導入し、天文学を軌道の幾何学から天体動力学に、天空の地理学から天界の物理学に変換させたことにある」680-681
「ケプラーが太陽中心説を言うときは、たんに記述に際して座標系の原点に静止した太陽を置くという数学的な意味だけではなく、太陽系全体の活力の源泉が太陽にあり、すべての惑星は太陽からの物理的な作用ないし生命的な影響を受けて動いているという動力学的了解をともなっていた」690
そして、ケプラーは当初「運動霊」という用語を使用していたが、「運動力」と捉え直す。
ギルバートの地球は磁石であるという議論が、重力を導き出す。太陽も磁力を伴うのであれば、その磁力は、その力の範囲内であれば、惑星に影響を与えているから。そして全ての惑星には、同じように磁石の性質があり、そのため相互に影響しあっているはずだと考えた。これがケプラーに影響を与え、宇宙の中心は力の源泉となる物理的・物質的実態すなわち太陽でなければならないとなる。その天体間に働く単一の関数で表される力という観念が生み出される。それはオカルト、隠された力ということになる。
第十九章 十七世紀機械論哲学
潮汐については、古代から経験的に知られている自然現象だったが、これは経験的に月と太陽に関係していることも知られていた。しかしガリレイは遠隔力を認めなかった。つまり重力を認めようとしなかった。『天文対話』において、地動説であるがゆえに潮汐があると結論づけていた。近代的思考に近かったガリレイは、遠く離れた月の影響について否定していた。
重力についてはなぜ落ちつのかではなく、どのように落ちるのかを考えた。つまり自然科学の配位を狭めたのだ。
デカルトは言ってしまえば、素朴な機械論的物質観をもっており、推論により論理的に演繹されるだろうよする硬直した閉じた体系のつくった。まだパラケルススのほうが実験を重要視していた。世界をひとつの自動機械になぞり、その機械の仕組みを解き明かすこと、眼に見えない微粒粒子が動いてい磁力なり諸現象は説明できるとした。それは受動的な考えで、天界の惑星間の働きを解き明かすことの前で無力だった。
第二十章 ロバート・ボイルとイギリスにおける機械論の変質
フランシス・ベーコンにおける経験の蓄積や技術の改良による発展。「ベーコンは、技術が多くの人たちによる実際の使用経験にもとづき日々改良され進化をとげるように、自然との交渉の拡大ち経験の蓄積のかなかでたえず手直しされ拡充され、多数の人間の協力によって完全なより包括的なものへと普段に仕上げられてゆく、累積的で可塑的で発展性のある開かれた理論という新しい学問の理想を模索していたのである。」777 「ベーコンは遠隔力の存在を認めたが、しかし遠隔力を合理的に捉える術を」有さず、彼にとって理論的枠組みや仮説の重要性を理解していたとは思えない。782 彼の見方は質的であり、定量的な把握にはほどと多かった。ゆえにベーコンの哲学は数理的な自然学への発展へとは直接つながるようなものではなかったようだ。
そこでイギリスにおける新しい学は、ベーコンの実験重視の考えと機械論の融合から生まれる。
その転換が、顕微鏡や望遠鏡などの「現代の利器」。これにより機械論やベーコン主義を乗り越える新たな段階にはいる。
ロバート・ボイルは引力を認めなかったという。直接的接触による衝撃ないし圧力の結果と見なしていた。その限りではボイルのは機械論の立場だが、彼のそうみつ根拠がある。真空ポンプの実験によりそれまでの「真空嫌悪」という考えを否定し、「圧力」による水面の上下を説明した。つまり磁力も近接作用として説明されるべきと考えた。ボイルの場合、デカルトの演繹的方法によえる機械論とは違い、経験論的、帰納的な立場にいた。
第二一章 磁力と重力ーーフックとニュートン
ロバート・フックフックは機械論主義をとるが、同時にギルバート以来の重力と磁力を同じように論じたりもしている。フックは重力を定量化しようとした。
ニュートンは当時の機械論哲学の全盛時代のなか、万有引力は厳し批判があった。なぜなら、「機械論にとっては物質が不活性で受動的であっただけではない。太陽がなにもない広大な空間をへだてて惑星に力を及ぼすということは、働きかけるべきはるか遠隔の惑星の存在や一を太陽が知っていることであるかのように思われ、目的論や物活論や生物態的自然像を過去のものとして葬り去った機械論には信じられないことであった」855 ニュートンの議論は、数理的ではあったが、時代を逆行するものと思われていた。ニュートンの場合、物質や事物の存在論はとりあえず脇に置き、どう働くかの法則を導くのみだった。「ニュートンにとって物質の受動性の力と能動性をどう折り合いを付けるか…機械論の一面世を霊魂論や物活論の要素でいかに補完するのか、ひいては自然学のうちに魔術的なものを以下に組み込むかという問題であった。」864
ニュートンまではまだ「空間に偏在する神」の存在を求めていた。
第二二章 エピローグーー磁力法則の測定と確定
十八世紀のニュートンが持っていた自然の神聖視が、フランスの啓蒙主義運動のなかで洗い落とさいき、数理物理学がはじまる。
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長かった。ようやく読み終わる。たしかに磁石は不思議なもので、現代的な視点で古代の無知を笑うこともできない。ケプラーのところは面白かった。プトレマイオスもコペルニクスも、幾何学からのアプローチにすぎず、それは数学的に厳密ではあるが、天体物理学というには足りない。そこにケプラーは、惑星が互いに影響し合うという魔術的なものを持ち込んで、近代の天体の物理学を作り上げたという。
しかし、こう読んでみるといろいろと思うところはある。ワインバーグが『科学の発見』でニュートンを絶賛してたけど、本書を読んでみるとニュートンは近代的な意味での科学者とは異なるような感じはする。ワインバーグの本も面白いのだが、極端な進歩主義で鼻持ちならないところがある。
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