2018/01/02

ヒンドゥー教とは何か Defining Hinduism

Defining Hinuism 'The Economist' September 23RD-29TH 2017

Sect drive 宗派の争い

中世の詩人はが現代インドで最も強い政党にとって頭痛の種を蒔いている。
午後の祈りに招集され、8500名の学生が花崗岩でできた台地の陰に建てられている巨大なアーケードにそって、長蛇の列の中、足を引きずりながら歩いている。裸足で、おのおの白いルンギー、赤の肩掛けの布を身に着け、そして額には横一直線に三つの灰をつけている。大きな岩に書かれているスローガンは彼等に次のことを思い出させる。「励むことが祈りであるWork is worship」や「一人の神が異なる名を持つ」だ。これらは12世紀に生きた哲学者で行政官であったBasavaからの引用だ。
ITの集積場であるバンガロールから約70kg離れたSiddaganda mutt(修道院)で教える聖人は、シヴァ神とBasavaを崇めており、Basavaは一神教とでもあった。これが彼等をリンガーヤット(Lingayat)たらしめている。しかし、彼等はヒンドゥー教でもあるのだろうか。
この宗派はヒンドゥー教の特徴を多く持っているが、社会正義に異常なまでにこだわっている。最も尊敬されている信徒は、修道院(mutt)の長であるShcakumara Swamiで御年110歳である。ほとんどの時間をシッダガンガ(Sidaganga)にある花崗岩でできた寺院の医務室のベッドで横たわって生活している。しかし、彼は「歩く聖者」で知られており、かつては人生を人里離れた地への旅に費やし、説教をし、貧者の代弁者として施しをせがんでいた。
9月10日、尊師と彼の指名した後継者が、リンガーヤットであり国民会議派(Congress party)でもある地方政府のM.B. patilの訪問を受けた。Patil氏は、この偉大な預言者がリンガーヤットがヒンドゥー教とは異なり、独自の宗教であると宣言されるはずだということにParil氏に同意していたと言って去っていた。同じ日の夜、ヒンドゥーナショナリストのインドの首相ナレンドラ・モディの所属するインド人民党(Bharatiya Janata Party)の公使が、そのような判断を控えるように説得した。以来、絶え間なく続く政治家による巡礼の旅が行われている。双方の代表者は、すべてリンガーヤットなのだが、静かにSwamiの刻一刻と迫っているその瞬間を待ちわびている。(翻訳がうまくいかないのだが、要するにだ、国民会議派とインド人民党の議員たちが尊師に会いにいっていて、争奪戦がはじまっているということだ)
ヒンドゥー教はこれといって明確な宗教ではなく、多くの派閥、宗派がある。一つの宗派が独自の信仰をもつその時を、文化人類学者は見たいと思っている。(直訳:ある分派が独自の信仰になるのはいつなのかという疑問は文化人類学者を忙しいままにさせる。)関係のない人にとっては大して問題にはならない。しかし、リンガーヤットはカルナータカ州(Karnataka)の人口の17%を占めていて、そこにSiddagangaがあり、2018年早々に選挙がある。この州は、近年の国中でのBJPの一連の勝利の後も、国民会議派(Congress)によって掌握されている最後の州なのである。
数十年間、ほとんどのリンガーヤットはBJPへ組織票として投票してきた。カルナータカ州では、この政党をB.S. Yeddyurappaが主導していて、彼はリンガーヤットで2008年から2011年までのスキャンダルを起こしていた政府を先頭に立って指揮をしていた。しかしコミュニティは今ではバラバラになったようで、いくつかの修道院(mutt)はマイノリティ宗教としての立場やヒンドゥー教の中で一つカーストとして数えられることを要求している。8月にはヒンドゥー教ではない宗教の集まりがあり、20万人の行進者を促した。
モディ政権の唯一つの法令は公にリンガーヤティズムを単なる宗派から一つの宗教に格上げすることだろう。しかしBJPの政治理念はヒンドゥーナショナリズムであり、ヒンドゥー教の連帯を損なう些細などんなことも政党が反対することを義務付けている。汚れきった選挙戦もまた大切だ。BJPは、懐疑派や南インドの州出身の最も低いカーストから選挙戦を勝ち取ろうと必死だ。彼等はヒンディー語を話す北部の人たちを文化帝国主義と非難していて、国政を押さえ込もうとしている。一方で国民会議派はカルナータカ州のBJP支持者の間の分裂から明らかに利益を得ているのだ。
ヒンドゥー教の多くの改革運動のように、リンガーヤットはカースト制度の中で異なった存在だ(つんとしている)。同様の衝動が仏教、ジャイナ教、シーク教を含むインドを起源とする宗教の発展を支えている。Basavaは、虚栄心と富から生まれたあらゆる繋がりを放棄するように信仰者に求めている。信仰の探求者、S.M. Jaamdarは、Basavaをマーティン・ルターに、そしてBasavaの詩をカトリックを根本的に改革することを求めたルター95か条の論題になぞっている。「もっとも、200年先に書かれているがね。」と言っている。リンガーヤットのきわめて異端的な社会正義への献身は断続的な脅威にさらされていると言う。別の学者の言葉を引用すれば、「ヒンドゥー教は海であり、リンガーヤットは島である。海は島を侵食するものだ。
このような考えが暴力的な激情を呼び起こす。Jaamdar氏の考えを同じに持つ同僚である、M.M. Kalburgi氏は2015年に銃弾に倒れた。別の十字軍犠牲者でリンガーヤットであるジャーナリストのGauri Lankeshは8月にリンガーヤティズムははっきりと異なった信仰であると考えるべきと論じた論集を出版したが、その後一ヶ月もしないで暗殺されてしまった。
Kankesh氏もまた無神論者で実直な左翼であった。彼女の見方は自らの敵をいたるところで作り出していた。殺人を起こさせる動機についての理論なんてものはいくつもある。しかしBasavaやヒンドゥー教の意味について議論することはもはや学問ではない。Siddagangaの歩く神は、インド独立後、最初の選挙が行われたときにはすでに中年の聖人で、現在の政府が自分の信仰をどのように分類するかを気にしていないかもしれない。しかし彼の若い弟子たちは被選挙権を持つものとして彼等の前には長いキャリアが待っている。

**************
とまあ、訳してみたけれどよくわからない。今回も誤訳が多いことでしょう。リンガーヤットってなんだかよくわからないが、記事から察するにヒンドゥー教の改革集団のことか。Wikipediaから少し書き出すと以下。残念ながら日本語版無し。英語版では結構長くて訳すのが面倒。
リンガーヤットはシヴァ派の一派で12世紀にBasavaという哲学者で行政官であった者が創り広めた。リンガヤーティズムは一神教であり、シヴァ神への献身を説く。Veerashaivismとも呼ばれる。南インド、特にカルナータカ州で多い。
Basavaはブラフミーが行う祭祀や寺院での礼拝を否定し、小さなリンガを通してシヴァ神への直接、個人的に祈ることをよしとした。記事でも宗教改革者ルターの名前がでているように、Basavaはルターよりも早い時期に宗教改革を成し遂げた人物として知られているようだ。
Basavaは性別や社会的差別を否定した。性別に関係なくシヴァ神のリンガやシヴァ派(Ishtalinga)の首飾りを付けることを許している。男女区別なく、経済的基盤なども関係なく、全ての者が精神的な話題や世俗的な話題を話し合えることを奨励した。
神学がどのようなものかなど、Wikipediaには書いてあるが、ちょっとよくわからないとこともあるし、あまり深入りするとすごいことになりそうだからやめておく。ただこのリンガーヤットがヒンドゥー教の一派なのか、それとも全く別の宗教なのかということについて、Wikipediaで項目をたてて、しかも今訳したThe Economistの記事を紹介もしている。
まあそもそもヒンドゥー教をヒンドゥー教と一括りにする事自体が無理があるだろう。日本だって、天理教や大本教などは、現在では神道の亜種の扱いを受けているが、そもそも国家神道なるものへの反逆として起こったルサンチマンの宗教だ。神道っぽいけど神道かといわれたら違うでしょ。創価学会は仏教だけれども仏教ではないかもしれない。宗派が違えば、すでにそれは信じる宗教が違うと考えてもいいとは思う。
ヒンドゥー教自体が、そもそも体系があるものではないし、一緒くたにしていいものではないだろう。「ヒンドゥー教」という名称自体、イギリス植民地時代に命名されたもので、いわゆるイギリス人が「発見」したものだ。各地方で信仰されているアニミズムを総称として使ったものが、いつのまにかナショナリズムを刺激するところまで来ているっていうんだから、なかなか興味深い。まあ日本の神道も同じ道を歩んできたのだけれども。
****************

0 件のコメント:

コメントを投稿