2022/02/10

『不確かな正義 BC戦犯裁判の軌跡』 戸田由麻 岩波書店

「指令統制責任論」(command resposibility)
山下の裁判では、検察側の立証方法は、戦争犯罪は広範囲で発生したことを被告人は「認知していた」ことを示唆し、それをもとに被告の過失責任を追求する。つまり被告人が命令したり自ら実行したりしたということではない。
弁護側は命令の事実もなく、実行事実もない点をつく。検察側は予想であり、「合理的疑いを越えて証明」しなければならない。
また日本軍特有の人事手続きもあり、誰が誰の指揮系統にあるのかも複雑。
判決ではあくまで組織的な犯行として、そして犯行期間、山下はその状況を知っていたにもかかわらず、部下を統制することをしなかった。
ここで弁護側の本質的な反論がでてくる。
米国は勝利者である。日本軍の兵站線、人員統制力、戦闘能力を壊滅的に米軍は破戒した。それは米軍の作戦が功を奏したことであり、その結果の混乱が生じ、戦争犯罪が行われた。それは上官が犯行を命令したわけでもないし、許容したのでもない。米軍の勝利の結果だ。そして、この非能率的で過失あったからといって、上官を罰することができるのか。組織秩序の混乱を、義務不履行と断罪できないと。
んーこれは。
黒田の場合は、残虐行為を知っており、それに対処する必要性を知っていた。そして不法行為をしないように指示もだしいた。しかし、これは本間を逆に追いつめていく。黒田がとった指示を徹底されたものであるのかどうか、だという。

2022/02/09

『ろうと手話 やさしい日本語がひらく未来』 吉開章 筑摩書房

んー、この本はどうなのだろうか。
本書はやはり基本的には「やさしい日本語」の普及が前提にあり、またやはりマーケティングの考え方が入り込んでいる。
「やさしい日本語が注目されている理由の一つに、それが他の言語に翻訳されやすい形式だということがあります。総務省は二〇一九年(平成三一)年に、やさしい日本語がAI多言語翻訳を活用する上でも高価があると認めています。(総務省「デジタル活用共生社会実現会議」報告書)」(163)
ここを読んだとき、きな臭さを感じてしまった。吉開さんが電通関係者ということもあって、ぼくの電通嫌悪フィルターにかかってしまったため、なんかねという偏見をもってしまった。
んで、さらにこの本についての書評をネットで見つけた。https://note.com/atsubumi/n/ncfe4ec44bcd2
ろう教育や日本語教育の門外漢であるぼくにとって、なかなか考えさせる書評だった。

しかし、バイリンガルろう教育がいまだに例外的な措置のままってのは、なんだかね。
んで、バイリンガルろう教育のWikipediaを読んでたら、なんかこの記事書いている人って、バイリンガルろう教育に憎しみでもあるのかと思われる内容だった。
高橋潔に対する評価は、いろいろあれど、でもさ、「慈善活動」の域をでなかったみたいな批判はどうなのよ。昔の人の批判をするのもいいけど、もうちょい寄り添えばいいのに。
現代なんて、ぼくも含めてろう教育に無関心な人がほとんどで、誰も高橋潔ほどの認識をもって、ろう教育に人生を捧げていないんだよ。

2022/02/08

『サラ金の歴史 消費者金融と日本の社会』 小島傭平 中公新書

高利貸しは無担保で金を貸す、だから友人、知人のネットワークを使う。「使い」や「走り」という。
戦前では金を貸すことは、副業のひとつと認識されていたようで、興味深い。現代と同じようにサラリーマンは上司の機嫌をとるよりも、金をかして利息をとって、所得を増やせと。
サラ金の源流が、日本昼夜銀行の「サラリーマン金融」とのことで、安田系の日本昼夜銀行は、昼だけでなく夜も取引できるサービスを行っており、昼間ではなく夜に現金の出し入れをする必要がある商人や飲食店との取引が多かった。恐慌を乗り切った銀行は遊んでいるカネをサラリーマンに貸し付けていく。ただし条件が厳しかった。25歳以上、東京周辺で2年以上の勤務であり退職しない見込みがあること。そして連ら五保証人で、雇い主や上司、または25歳以上の返済能力がある親戚、二名以上ということ。なかなかだな。

森田国七は神戸製鋼に就職し、上司の許可をとりサラリーマン金融をする。
田辺信夫早稲大学の政経学部在学中に学徒出陣。その後貿易会社に勤務。その間に節約を徹底し、300万円をためる。(66)1960年、日本クレジットセンターを設立。彼は団地金を誕生させる。団地の主婦層向けの無担保の小口貸付をしていく。「現金の出前」というキャッチコピーで、電話一本ですぐに月賦をくめるという便利さ。
そういえば、ミシンも月賦で購入できることで、広まったよな。こっちは戦前だけど。
団地金融では、無担保だから焦げ付いちゃうことも多いようだが、そこは営業マンの経験によってもカバーされていた。そして何より当時の団地マダムの見栄もある。当時は団地に住むことはステータスであり、入居審査は厳しかった。それ一定の収入以上の家族が住んでいることであり、さらにだからこそ、おいそれと返済を滞るような自体にまでいかないという算段。さっすがー。
武富士を創業した武井保雄は「靴の並べ方、洗濯物の干し方」をよく観察していたという。これも興味深い。人間というのは、こういった細部にその人間の育ちや性格、所得や生活スタイルがでてくる。左翼をやっているとこういった靴の並べ方や洗濯物の干し方だけでなく、歩き方やしゃべり方について無頓着なっていく。というのもこういうのは差別に繋がると考えるからだ。
実際、差別であることは間違いない。人の生活様式でその人の尊厳を大小を決めようと言いうのだから。しかし、現実では、このような生活様式が人間の生い立ちやらを無言の説得力でアピールしていく。

サラリーマン金融は、高度成長期においては安定した商売だったようだ。やはりある程度の審査もあるし、あくまでもサラリーマンへの貸付であった。不景気で中小企業が債務不履行でもサラリーマン金融は安定していたという。(99)
サラリーマン金融では「明日の米を買う金を絶対に貸すな」と、レイクの創業者浜田武雄は言っていた。
おもしろい話が載っていて、
「生活費が足りない、サラリーをもらってなおかつ苦しい人は、生活のどこかに欠陥があるからですよ。そんな人に貸せばコゲつくだけです。部下に飲ませる金がほしいとか、つきあい、レジャー資金を求めてくる人は、概して仕事熱心。バイタリティーもあって必ず返済します。」(105) 
「サラリーマンにとって酒、マージャン、デートなどに使う金は健全資金なんです。借金して遊ぶくらいのサラリーマンでなけりゃ、出世しませんよ。だから、うちの会社は正々堂々と遊ぶお金を、だれにでも、どうぞお使いくださいといって貸すんです」(105)
この人事評価は時代を感じるが、しかしどこかいい線をいっている気がする。ただこれは当時の会社における出世の仕方ともコンビになっているようだ。
ただし、飲みにもいかない、とか付き合いが悪い人間は出世コースから外れがちなのは、この人間界ではある程度い方がない。そもそも仕事とは多くの場合対人的なのだから、無口でコミュ力が低い場合、仕方がない。仕事ができる、というのは多義的なのだから。
しかし時代が進み、貸付基準も緩くなっていく。返済能力ありと見極めた人にだけでなく、裾野を広げていき、サラ金がセイフティネットの役割に変じていく。(152)生活や事業に行き詰まった人に貸していく。とはいってもリスクを回避する術が必要となる。それはブラックリストの共有と団体信用生命保険の導入だった。(153)
団信なんかは「モラル・ハザード」を起こすもとにもなっていく。わざと放火したり自動車事故を起こしたり。さらには顧客を自殺させることが合理的な選択になっていくこともある。
知らなかったが過払い金の法律的救済は1960年後半にはすでに認められていたということだ。
債権回収が重要な仕事であるが、かなりな感情労働であることは想像に難くない。債務者に同情すれば「そんなことくらいで落ち込むようなやつに、金貸しは無理だろうな」とか、従業員も女房家族をだしに仕事に慢心することを求められていく。この多重構造はすごい。(205)
金利引き下げは、債務者にとっていい話のように思えるが、実はそう簡単なもんではなく、金地引き下げは金融業の利益を減らしていく。そうなれば焦げ付かない人を選んで貸していく。そうすると闇金へと流れていく。何じゃこりゃ。まさにセイフティネットとなってきている。
蛇足ながら知らなかったが宇都宮健児はサラ金問題に首を突っ込んでいたのか。

2022/02/04

『戦争と平和』 3 トルストイ/望月哲男訳 光文社古典新訳文庫

登場人物の性格というか心情がどんどん変化していく。ドストエフスキーのような人物描写とはかなり異なる。
アンドレイは結構実務家タイプとのことで、ピエールが中途半端なかたちでおこなった農奴を解放して自由耕作制にしたり。
アンドレイはアウステルリッツで高い空を見るが、禿山にもどると一転して諦念の塊になっていく。そこにナターシャと出会う。オトラドーノエでの春を感じるアンドレイの心情描写が、再びアウステルリッツの高い空と同じ心境をもたらしていることを物語っている。(21)
「ピエールにも、空をとびたがっていたあの娘にも。みんなが俺を知り、俺の人生い鶏だけのものでなくなり、人々が、あの娘のように俺の人生とはかかわりなく生きるんじゃなくて、俺の人生がみんなに反映し、皆が俺と共に生きるようになるべきなんだ!」(22)

ピエールはフリーメイソンの会合なんかで、自らの思想を開陳するがイルミナティと勘違いされたり、結局フリーメイソンの集まりが下劣な低俗なもので、心を満たしてくれるものではない事に気づき始めていく。
フリーメイソンとイルミナティの思想の違いについては、よくわからない。フリーメイソンからするとイルミナティは危険思想のようだ。曰く、イルミナティは社会活動に溺れていると。フリーメイソンの目的は自己の完成であるという。(59)
神秘思想のようなものが語られる。
「わが結社の神聖なる学問においては、すべての事物の三つの根源は、硫黄、水銀、シオである。硫黄は油と火の性質を持つ。これが塩と一緒になると、その火の本性によって塩野「中に渇望を呼び覚まし、その力で水銀を招き寄せ、捕え、引き留めて、個々の物体を生み出す。水銀は液体である同時に飛翔する霊的本質である。すなわちキリストであり、精霊であり、神である。」(70)
興味深い。

恋多きナターシャよ、ボリスの次はアンドレイと。そして破滅にむかうアナトールへと。愛は理性的であるべきとの、トルストイの考えか。『アンナ・カレーニナ』ではアンナは破滅への未知であることを知りつつ、駆け落ちを実行する。ナターシャの場合は、恋に盲目になって駆け落ちに向かう。しかし、ナターシャの周りの人たちがアナトールの計画を阻止してくれる。このあたりもアンナとは違う。家族の問題がここにもある。トルストイはまさに環境が人物の幸福を左右するとでも言いたげではないか。
アンドレイもナターシャも幸福の絶頂にいる。(122、134など)
しかし、どうも最初からうまくいかないことがトルストイは仄めかしながら書く。
「ピエールは、幸せになるためには幸せの可能性を信じなくてはいけないと言っていたが、あれは正しい。俺は今こそピエールを信じる。死者を葬るのは死者に任せ、命ある間は生きて幸せになることだ」(137)
ナターシャとアンドレイの出会いは、まさにペテルブルグで催されたフランス式の大宴会。皇帝もいる。そんななかでアンドレイはナターシャに声をかけて、ダンスをする。するとみんなかダンスの声がかかり、有頂天になっていく。ナターシャの至福の時。
しかし、アンドレイは父親に反対されて、一年まてろ言われる。一年たてば好きにしろと。
老ボルコンスキー公爵も少しづつ性格がきつくなっていく。当初はまだ頑固一徹で誰からも慕われる厳格な父であり、貴族であったのが、いつのまにか物分かりの悪い爺さんに変貌している。とはいいつつ、外部のものからは依然と慕われているようだ。老公爵のフランス憎悪も凄まじいが、息子の結婚に反対するために女中みたいなマドモワゼル・ブリエンヌに色目をつかいだし、いよいよヤバさが醸し出してくる。
マリヤへの仕打ちも酷い、がマリヤは家族のためにそれを受け入れている。

ナターシャの田舎暮しの描写は、ペテルブルグとは対称をなしている。猟にでたり、バラライカの伴奏でロシア式踊りに目覚めたり。食事にも都会では味わえないものを楽しむ。(250)
「とっくの昔にフランス風のショール・ダンスに駆逐されてしまっていたはずのこんなしぐさを、いったいどこで身につけたのだろうか? だがこの気合もしぐさも、まさに真似もできなければ勉強しようもないロシア的ものそのものであり、まさにこれをおじはナターシャから引き出したかったのだった。(256)
ピエールはどんどん自堕落な生活にも慣れていったり、自分を見失っていく。そんな自分に仕方がないじゃないかと自分に言い訳しながら、そんな生活に堕している人々への同情と敬愛なんかも生れていっている。(323)
アナトールへの蔑みをもちつつも、彼との生活にも慣れていくピエール。アナトールはまさに享楽主義者であり、未来を考える能力を持ち合わせていたに人物と描かれる。
ただアナトールとナターシャの件で、彼は巨悪の根源であるアナトールをモスクワから追放し、ナターシャへの愛を告げたあたりから、再び自分を取り戻していく。
ナターシャなんか結構不埒な奴で、アンドレイとアナトールを選びきれずに、二人同時にみたいなことを考えたりしている。(426あたり) ナターシャの苦悩は、そのまま『アンナ・カレーリナ』のアンナなのだ。
自らどんどん深みにはまっていく。ついにはアンドレイとは結婚しないとマリヤに手紙まで書いてしまう。(438)

再び高い空。今度はピエール。
「キンと冷えて晴れ渡っていた。泥だらけの薄暗いとおりと、黒っぽい家々の屋ねの上に、暗い星空が広がっている。ただその空を見つめている間だけピエールは、自分の心が駆け上がったあの高みに比べれば、地上のものすべてが屈辱的なまでに卑小であることを、感じずにいられるのだった。アルバート広場に差し掛かると、暗い星空の巨大な空間がピエールの目の前に開けた。その空のほぼ中央、プレチステンスキー並木通りの真上に、四方八方に散らばる星々に取り囲まれて、しかしどの星よりもはっきりと地球に近く、白い光を放ち長い尾をウニに持ち上げた恰好で、巨大な明るい一八一二年の彗星が浮かんでいた。世の噂では、あらゆる災厄と世界の終わりの前触れだという、あの彗星だった。しかしピエールの内には、長い尾をしたその明るい彗星は、何の恐ろしい感情も掻き立てはしなかった。それどころか、あたかも計り知れぬほど広大な空間を放射線状に飛び越えてきたあげく、急に、大地に刺さる矢のごとく自らが選んだ暗い空の一点にはまりこんだかのように止まり、力強く尾を振り上げて、無数のまたたく星々の真っただ中で白い光を放って戯れているその明るい星を、ピエールは並みだに濡れる目でうれしそうに見つめていた。新しい人生に向けて花開いたばかりの、自分のしなやかな、奮い立つような心のうちにあるものと、その星がぴったりと呼応しているように、ピエールには思えたのである。」(494)

2022/02/01

『忠誠と反逆』 丸山眞男 筑摩書房

下記、抜き書き。

「また生死の運命共同性の実貫を分有しているという点においても、むしろ非合理性を本質としており、流通範囲も感覚的に自己が同一できるかぎりの集団を出るものではなかった。封建制の組織化と拡大は、思想史的にはこうした原初的なエートスの合理化の仮定であって、そこに君臣の「義」とか「分」とかいう儒教的カテゴリーが浸透してゆく契機もあるわけである。」(15-16)

「日本においても、伝統的権威や上長に対する「反逆」は事実問題としてはむろん古代からしばしばあったけれども、原理への忠誠をテコとして「反逆」を社会的、政治的に正当化する論理は伝統思想のなかには、この天道の観念委が二はなかったといってよい。……「君臣主従の義」という「合理主義的」範疇が封建的階層制のあらゆるレヴェルにちりばめられたとき、それはけっしてたんに臣下の恭順を一方的に義務づけたのではなく、同時に「君」もまたある目に見えない、自然法的規範に拘束されるという考えも社会的に定着させていった。」(22)

「このように恩賞の「跡」よりも「意」に重点をおいた分析は前述のような忠誠感の文脈のなかでは一見するほど「精神主義的」ではなく、存外にリアリスティックなのである。」(25)

「けれどもこのような背逆をあえてした鎌倉幕府が何故九代も続いたのか。これをたんに「時勢の変」という状況追随的説明に放置せず、さりとてその規範主義的判断を著しく超越的=非歴史的に陥らせないためには、どうしても歴史に内在しながら同時に、具体的な政治的現実に超越する原理が必要とされる。ここに天道思想に基づく民本主義的理念が介入して来るわけである。」(26)

「福沢は、このあわただしい転変のなかで人間の社会的適応のさまざまな姿を――一挙にルーティンを破られた社会的大群が激流に浮沈しながらそれぞれ自我の生き方と拠り所を必死に模索するさまを、痛切な灌漑をこめて凝視したのである。一方では、「数万の幕臣は静岡に溝瀆に縊るゝ者あり、東京に路傍に乞食する者あり、家屋敷は召上げられて半ば王臣の安居と為り、墳墓は荒廃して忽ち狐狸の巣窟と為り、惨然たる風景又見るに堪えず。啻に幕臣の難渋のみならず、東北の諸藩にて所謂方向を誤りたるものは、其主従の艱苦も亦云ふに忍びざるもの多し」という状況があれば、他方には、「当初捌く第一流と称したる忠臣が、漸くすでに節を改めて王臣たりし者亦尠なからず。唯王臣と為って首領を全うするのみに非ず、其穎敏神速にして勾配の最も急なる者は、早く天朝の御用を勤めて官員に採用せられたる者あり」という行き方もある。しかも一時は憤然として、「義を捨つるの王臣たらんよりは寧ろ恩を忘れざるの遺臣と為りて餓死するの愉快に若かず」と言い放った「東海無数の伯夷叔斉」も、さて首陽山を下って見ると周囲の光景が一変しているのに驚き、「嗚呼彼も一時一夢なり、是も亦一時一夢なり。昨非今是、過て改むるに憚る勿れとて、超然として脱走の夢を破り、忽焉として首陽の眠を醒まし、……昔日無数の夷斉は今日無数の柳下恵となり、……大義の在る所に出仕し、名分の存する処に月給を得て、唯其処を失はんことを是れ恐るゝのみ。……絶奇絶妙の変化と謂う可きのみ」。……少なくとも彼がここで忠誠の転移の問題をまさに転向の問題として、自我の内側から追跡していることはあきらかであろう。「天下の大勢」という客観的法則はあくあでも法則であり、「勝てば官軍」という事実はあくまで事実である。しかしこの法則なり事実が自我の次元において忠誠移転の根拠となり、口実となることに福沢は我慢がならなかった。いわゆる絶対的な名分論がもし純粋に自我に内面化されたものならば、それは「盲目」であり「愚鈍」であっても、こうした滔々とした転向は生まないはずである。とすれば「今の所謂大義名分なるものは唯黙して政府の命に従ふに在るのみ」。したがって万一、西郷の企てに成功したならば、……逆に謀叛もできないような「無気無力」なる人民に本当のネーションへの忠誠をきたいできるだろうか」(44)

自由民権運動は、よくヨーロッパの受け入りのようなに言われるが、

「生活手段の固有性の実感に支えられていたかぎりは、たんなる船来イデオロギーでなかったし、それが失われた固有県の「奪還」からでても、あるいは獲得した財産の「擁護」から発しても、ともに当地帯と社会との二元論に立った「抵抗」の発送を生みださずにはおかない。(49)

「ここで蘆花が神戸老人に託して亡びゆく封建的忠誠の純粋結晶を描こうとしていることは明らかである。その際とくに注目すべきことは第一に、「君臣の義」や「旧主の為を思ふ忠義者」の確信がけっして主人の意思に対する恭順や黙従ではなくて、まさに諫争にあることが、ここでは当然の理とされ……「夥しい恩」を受けながら「誰一人諫言申す者」がないことは。「御家」没落の確かな徴候なのである。……神戸老人に象徴されるような社会的にちりばめられた形で存在していた「諫争」の精神もまた、明治が半ばをすぎないうちにすでに稀少価値として映じていた、ということにほかならない。天皇制的な忠誠の集中がたんに封建的忠誠をネーションワイドに拡大したものでない……皮肉にもその伝統のなかのサムシングが大量的に社会感覚から消たばかりでなく、まさにそのこと自体を蘆花のように鋭く見抜く眼が社会的に少数になっていた。つまりここには二重の「脱落」があった。」(87)

「その推移とは別の面から言えば、幕末維新における忠誠観念のすさまじい激突と混乱をもはや自らの経験のなかに持たない世代が、日露戦争善後から続々と成年期に達していた、ということである。この見えない世代の交替の意味を無視して、平面的=概括的に「明治的人間像」を語ることは出来ない。そうして明治四十年頃から大正初期にかけての時代が社会過程のうえでも、さまざまな「思潮」の天でも、明治二十年前後につぐ第二のエポックをなしているというの右のことを背景において考えなければならない。(87)

アパシィ、つまり無関心と個人主義について論じている。非戦論ではなく無戦論へと変化していく。それは国家を無視したものであり、忠誠と反逆の双方とも違ったものであった。新しい世代は旧時代を否定する態度ではない。
この現象は急激な都市化と人口流動、そして体制の官僚化と組織の硬直化が背景にある。大学卒業者は司会者の閉塞感や慢性的な失業で、「余計者」知識人がでてくる。
徳富蘆花、山路愛山、田岡嶺雲、三宅雪嶺の忠誠と反逆の精神史を読み解く上で、単なる反体制者としての位置づけはできない。「維新における忠誠の相克から天皇制的な忠誠の「集中」に至る過程を辿り、その背景の下に、福沢の「痩我慢の精神」から、田岡の「固摒」あるいは彼のいわゆる「チョン髷主義」までの、抵抗と謀反の哲学」を読み取っていく。

丸山真男は権力論を非常にフーコーと同じようなかたちで論じている。
「徳川体制の凝固化は、支配者対被支配者、つまり武士対庶民の身分的=価値的隔離にもっぱら依存せずに、むしろ羞恥のように支配層のなかに驚くほど細分された階層関係を設定し、さらにそれを被支配層におし及ぼしていくことによって完成されたのである。これによって五倫五常の規範体系はたんに「士大夫」だけでなく社会全体をつつみこみ、忠も孝も義理も奉公も分限も、商家や村などあらゆる微細な社会圏にまでちりばめられる。それら大小無数の閉鎖的な社会圏がこうした権威価値で一つ一つリンクされ地固めされた。」(165)

「異質な社会件との接触がひんぱんになり、いわゆる「視野が開ける」にしたがって、自分がこれまでに直接に帰属していた集団への全面的な人格的合一化から解放され、一方で同一集団内部の「他者」にたいする「己れ」の個性がじかくされると同時に、他方でより広く「抽象的」な社会への自分の帰属感を増大させる」(178)

「権力政治に、権力政治としての自己認識があり、国家利害の問題として自覚されているかぎり、そこには同時にそうした権力行使なり利害なりの「元かい」の意識が伴っている。これに反して、権力行使がそのまま、道徳や倫理の実現であるかのように、道徳的言辞で語られれば語られるほど、そうした「元かい」の自覚が薄れて行く。「道徳」の行使にどうしても「元かい」があり、どうしてそれを抑制する必要があろうか。「利益線」には本質的に元かいがあるが、「皇道の宣布」には、本質的に限界がなく、「無限」の伸長があるだけである。」(228)

内村鑑三の「第二の宗教改革」(282)、そして「矛盾について」(291)。非戦論の内村が旅順沖海戦の大勝に喜んだこと。この矛盾こそが、内村、ひいては明治期の知識人の魅力であると。

歴史意識の「古層」について。結構難しい論考だと思われるので、別でまとめることにする。