2020/12/18

『ゲンロン戦記――「知の観客」をつくる』 東浩紀 中公新書ラクレ

一気読み。おもしろかったー。あずまんがエクセルに領収書の金額を打ち込んで、人生は地道に生きねばならないと悟るところなんかいい感じ。
でも、ちょっと冷静に考えると、いたって普通のことで、経理や総務をきちんとやりましょう。請求書、領収書の管理をしっかりしましょう、歳出歳入もしっかりね、っていうのはあたりまえなこと・・・・・・あずまんのえらいところは、その重要性をようやく知ったことを正直にしゃべっていることだ。みんなそんな勇気ないでしょ。
会社の本体は事務にあります。研究成果でも作品でもなんでもいいですが、「商品」は事務がしっかりしないと生みだせません。研究者やクリエイターだけが重要で事務はしょせん補助だというような発送は、結果的に手痛いしっぺ返しを食らうことになります。(32)
よく経理や総務という俗世間を馬鹿にしがちになる。ぼくもそうだったし。左翼思想にかぶれ、左翼運動に片足をつっこんでいたときは、簿記や法律事項なんかを蔑視し、自らの精神はこれら俗世間から分離すべきものと考えていた。あずまんもこれらを補助でしかない認識だったと告白している。
ただし、実際は会社に就職し、生活者として生きていくと、必然的に地道な経理、事務、管理などがいかに重要であるかを知る。
ぼくの場合、こういったことを学びはじめて、左翼からは離脱した。あまりに生活者としてなっていないのが、ぼくが属していた左翼界隈だった。
現在でも、コロナ騒動で、GoToを止めて、直接給付を声高に叫んでいるのは左派系の連中だが、こういうのも正直言って生活者をわかっていないと思う。
仕事なくてもお金を配ってあげればいいでしょ、という浅はかすぎる考えが根底にあって、でもそれは人間の生活を無視していると思う。労働をして、社会とつながる重要性がわっかっていないんだと思う。えてして、そういう連中は大学人と学生に多い。これは仕方がないのかと思うけどね。

あずまんの失敗を読むと勇気が湧いてきます。失敗の仕方は人それぞれだけど、人間は何度も失敗するようで、「学び」なんて本当にできるのかなぁといつも考えます。
で、あずまんが代表を下りたのは、その失敗を繰り返す原因が自分にあることがわかっているからであり、おそらくまた繰り返すという念もあるからだと思う。
ぼく自身、同じ失敗を繰り返して、気づいたのは、どうもぼくは失敗には気づくけど、それを矯正できるほど自己に厳しい人間ではないということで、なので、同僚にぼくを監視してもらう役をお願いしたことがある。そしたら、いい感じで、仕事がスムーズにいくようになった。

「ぼくみたいなやつ」を集めることをやめて、「孤独」を選ぶというのもいい感じ。何かを継続させるための本質がここにあるような気がする。

「知る→わかる→動かす」という一見合理的なサイクルは、じつは幻想で知れば知るほど動けなくなる」というのは、至言で本当に動けなくなる。そして保守的になっていくのだ。

ゲンロンのロゴの焼き印が押された「ゲンロンカフェ特製ホットドッグ」なるものが、あったのがほほえましい。

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