古典を読むうえで難しいの時代背景でしょうか。何が当時問題となっているのかを知らないと、何を読んでもあまり感銘をうけないものです。ぼくが高校生の頃にプラトンや孔子を読んでいた時、何が面白いのかがよくわからなかったものです。
本書でもでてくる「無知の知」なんて、だから何?的な感じでしたし。
当時の世相を知っていくと、面白くなっていくわけです。
以下、簡単にまとめ。
人間の生は、競技会に赴く人々に似ている。ある人は競技で勝利して名誉をえることを求め、またある人はそこで物を売って利益を得ようとする。しかし、もっともすぐれた人は、競技を観るためにやって来る。そのように、人生においても、名誉や利益のような奴隷的なものを求める生き方に対して、真理を観照し愛求するフィロソフォスの生こそがもっとも望ましいのである。(キケロ『トゥスクルス荘対談集5・3・8-9から要約)(本書22)
んーいい感じ。ピュタゴラスの言葉らしいが、筋肉至上主義にたいする精神的勝利。
プラトンを読んでいて難しいなあと思うのが「想起(アナムネーシス)」これは不在のものの現在化と捉え、竪琴や衣服を見てその持ち主である恋人を思うことといった感じのよう。プラトンは書くと言うこと自体が一つの想起として位置付けていたようで、それは哲学者ソクラテスの記憶、つまり不在の過去の遡及で、像から実在へいたる運動となっている。(128)
クセノフォンにしろプラトンにしろ、同時代の反ソクラテスの人たちへの反論としても著作は位置づけることができる。例えばポリュクラテス『ソクラテスの告発』。この著作は現在は失っているが、内容はソクラテスが不敬神であったことには触れておらず、若者を堕落させていたったことへの告発だった。とくにクリティアスとアルキビアデスの二人はポリス最大の悪をなした人物としても名高い。ソクラテスを語るプラトンもクセノフォンもエリート主義であり、政治はテクネー(技術)であるとする。そしてその技術を養うために、「善き生」の吟味を必要とした。それは民主制への鋭い批判ともなる。
ソクラテスは民主制の基盤でもある「パレーシア(言論の自由)」で行使していたにすぎないが、それが逆に民衆の怒りをも買う結果となっている。
三十人政権について。ペロポネソス戦争後にアテナイではクリティアスを首領に寡頭政治が行われ、粛正が行われていった。クリティアスは実際にはスパルタ式の政治を展開していこうとしていた。それまでの民主制の弊害に対する政治変革の意味もあった。
クリティアスがソクラテスから「言論の自由」を奪おうとしたが、ソフォクレスが描くソクラテスが秀逸。単なる屁理屈を通り越してかなり滑稽さがあっていい。
「ソクラテスが二人にこう尋ねる。「もし命じられたことの何かを知らないとしたら、尋ねて構わないでしょうか。
二人はそれをよしとした。
「では私は法律に従うようにしてきました。ですが、知らないがゆえに法にはんすることを気づかずにすることがないように、このことをあなた方からはっきりと学びたいのです。
言論の技術とは、正しく語られたことを伴うのか、それとも正しくなく語られたことを伴うのか、どちらを考えてそれを避けるように命じられているのでしょうか。というのは、もし正しい言論をともなうもののことであれば、正しく語ることを避けるべきなのは明らかですし、他方、もし正しくない言論をであれば、正しく語るように努めるねきなのは明らかです。」
カリクレスは彼に腹を立ててこう言った。「ソクラテス、君は知らないのだから、分かりやすいように、このことをわれわれは命じる。若者たちと一切対話しないように。」
するとソクラテスは、「では、私が命じられたこと以外をする疑念がないように、何歳までの人間を若者と考えるべきか、規定してください。」
「カリクレスは、「審議に加わることが認められない時期だ。まだ十分に思慮がないという理由で。……
「では、もし私が何かを買う時、売り手が三十歳より若かったら、いくらで売るかを尋ねてもいけないのですか。」
「そのようなことは、よい」
……
「もし若い人は私に質問をして、私が知っていても、答えてはいけないのですか。カリクレスがどこに住んでいるかとか、クリティアスがどこにいるかとか?」
「そんなことは、よい」(175-176)
プラトンの場合は「思慮深さ」という言葉でクリティアスとソクラテスの関係を語っていく。「思慮深さ」はスパルタの徳目の一つであったから。「思慮深さ」とは程遠くクリティアスは政治を行った。プラトンはここに哲学と政治の根本問題を見る。
クリティアスの政治は自己の欲望を満たすためのものではなかった。プラトンの『カルミデス』を参照。ここに「思慮深さ」の本質が語られる。
ソクラテスはたしかにレオンの逮捕に関与しなかったが、積極的に助けもしなかった。民主派からすればソクラテスの態度は三十人政権を擁護しているように見えた。ここはプラトンやソフォクレスの苦しいところでもあった。
ちなみにこの「レオン」は将軍レオンのことなのか、「サラミス人レオン」なのかははっきりわからないよう。
アルキビアデスは当時、かなり話題な人だったようす。アルキビアデスはソクラテスと仲違いの描写がソフォクレス『思い出』にもあり、さらにアルキビアデスをソクラテスの影響の悪しき若者の例として用いている感じがあるようだ。
面白い指摘だったのが、『饗宴』でのアルキビアデスの演説が、彼のソクラテスとの出会い、改心、そしてソクラテスと疎遠になったあとのアルキビアデスの生き方を映しだしているというところで、ソクラテスへの屈折した思いが書き込まれているという。そこに愛(エロース)が宿っているという。
ここで「不知」について書かれている。ぼくが高校生のころに初めて『ソクラテスの弁明』を読んだとき、「無知の知」というのを、巷で言われている「知らないことを知っている」というふうに捉えていた。そのため、そんなこと別に哲学的でもなんでもないと思っていた。謙遜は世界共通の美徳であり、ソクラテスが言ったから徳になっているわけでもないわけで、つまらない本だと、なぜこれが哲学書として崇められているのかとか不思議に思ったものだ。
「知らないことを知っている」という態度自体が、傲慢であり、「知らないこと」をどう「知る」ことができるのか。
では「無知の知」はどこから来たのか。高橋里美がそれをクザーヌスの「不知」の否定神学と重ねあわされたという(docta ignorantia)。昭和初期にこの「無知の知」が成立したと考えられ、大正時代の『岩波哲学辞典』の「無知の知」の項目ではdocta ignorantiaが紹介されているが、ソクラテスと関連付けられていないという。そして高橋の教え子である教育学者稲富栄次郎は著作で「無知の知」をソクラテスと重ねて商会していき。人口に膾炙していったと考えられるという。
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