2018/08/28

『モンゴル帝国誕生 チンギス・カンの都を掘る 』白石 典之 講談社メチエ

基本的には面白い内容ではあった。現在のモンゴル史の考古学的発見がどんなものかがわかる。アウラガ遺跡から、農耕を行っていて鉄の生産までしていたことがわあっとのこと。しかもこの鉄の生産の話の中で、インゴットを使用して鉄器をつくっていたらしい。確かに砂鉄から精錬は大変だ。このインゴットを遠征先までもっていったらしいのだ。
あと実はチンギスの暮らしは質素だったらしく、絢爛豪華とは程遠いものらしい。
と、まあ考古学的な話は面白いのだけれど、最後の章でチンギスの分析をしていて、経営学的な視点から評価し直している。これがいただけない。シフト、コストダウン、モバイル、リスク回避、ネットワークなどの経営学の用語を用いてチンギス成功哲学を語っているが、そんな単純な話でもないだろう。経営学のリーダー類型分析とかあほらしいものだし、普通、上に立つものならば言わずもがななのだ。ただこれらの行動を適切に行えるかどうかが問題であり、凡人はわかっちゃいるけどできない、というのが非凡と凡人の差なのだがね。確固たるビジョンを持っていたからチンギスはすごいというけど、僕だって確固たるビジョンはある。ただそれを実現するだけの計画性や粘り強さ、または徳がないのだ。
もっと考古学に徹した内容であればよかったのに。

2018/08/26

Mozart, Symphonies “Linz” & “Paris” Ľudovít Rajter /モーツァルト 交響曲36番「リンツ」、31番「パリ」、ルドヴィート・ライテル

Mozart, Symphonies “Linz” & “Paris”
Ľudovít Rajter 
Slovak Philharmonic Orchestra Conductor
Supraphon, SUA 10873, Mono 
Czechoslovakia, 1967




ニューヨークでの買い物の中の一枚。$3で購入、盤質良好、しかもMONO。モーツァルトの交響曲36番リンツが目当てで、しかもスロヴァキアフィルハーモニア管弦楽団という珍しい感じがしたので買った。設立は1949年。指揮者であるĽudovít Rajter (ルドヴィート・ライテル)は1949年〜1952年、1953年〜1961年に首席指揮者だったようだ。
録音状態は良い。発売は67年となっているから、録音は66年か67年だろう。ということはプラハの春がまだ起きていないのだ。まさにリンツの王道といった演奏だ。第三楽章なんかは土地柄もっとリズムカルに演奏されるのかと思いきや端正で抑制がきいている。このリンツの持ち味はリズムだと思っていたので、ライテルの演奏は落ち着きを持っていて大らかに演奏されていて、今ひとつピンと来ない感じがしたのだが、何度か聴いている内にもしかしたら、いい加減な気持ちで、これは社会主義体制のなかで探求された芸術のあり方なのかと。どこかモーツァルトには似つかわしくないダイナミズムが感じられるし。社会主義体制の中での芸術、それって何よ、と自分自身に問いかけたけどよくわからないので、いずれわかる日が来るかもしれない。とはいっても非常にいい演奏だし、これからも愛聴していくと思う。
スロヴァキアというヨーロッパの小さな地域でこれだけの演奏ができるオーケストラがあるってのも羨ましいもので。大きさは九州より少し大きいぐらいの国なのに。

2018/08/25

Easter Oratorio, Eugene Ormandy/バッハ 復活祭オラトリオ ユージン・オーマンディ

Johann Sebastian Bach , Easter Oratorio 
Eugene Ormandy, The Philadelphia Orchestra
Judith Raskin
Maureen Forrester,
Richard Lewis
Herbert Beattie
Columbia , MS 6539




ニューヨークのレコード店で手に入れる。盤質は問題なし。$3だった。まさかユージン・オーマンディがバッハの復活祭オラトリオを録音していたなんて、と驚いた。
日本に帰り、数多く持ち帰ったレコード中でまずこれをかけてみたら、フィラデルフィア管弦楽団の華やかな冒頭から素晴らしかった。当然モダン楽器による演奏で、時代を感じさせるものだが、リヒターのような堅苦しさがなく、華麗に軽やかにオーケストラが歌い上げている。この演奏は現代のピリオド演奏につながるとこがあって、たしかに過度なビブラートやらがあったりするが、宗教音楽の重々しさから脱却してる。
僕にとってオーマンディというと最初に思い浮かべるのがラフマニノフと共演したピアノ協奏曲第三番。で、なにか思い入れがあるとか、素晴らしい伴奏だったとかは特にない。だって音質が悪くてあんまり聞き取れないから。あとはベートーヴェンの第九は大好きだった。神格化した第九のような演奏ではなく、どこか呑気でかつ華麗な演奏だ。第四楽章のソロは、もうオペラのようで合唱も神々しさをなくした人間的な喜びがある。
今回のバッハの復活祭オラトリオも第九と同じように、このバッハの作品を身近にしてくれる。

2018/08/19

貝殻の形成 How Seashalls Take Shape

How Seashalls Take Shape


軟体動物は驚くべき建築家だ。襲撃者や自然から柔らかな体を守る家を建てる。殻が持つ並外れた強さ、耐久性、美しさ。多くの殻は壮大な複雑性を持った形状をもつ。それはフラクタルに回転しながら装飾された対数の螺旋、またはほぼ完全に数学的な規則性を伴って製作された装飾。しかし軟体動物はもちろん数学を知らない。どうやってこのつつましい生き物がかなり複雑なパターンを正確に生み出すのか。
100年以上もの間、科学者は細胞、組織、器官は、その他の物質を支配するものと同じ物理的な力に呼応していなければないと考えていた。しかし20世紀を通じて、生物学者はどのように遺伝子情報が生物のパターン形式に影響を与えるのか、またこれらのパターンがどのように機能するのかを理解することに力を注いた。しかしここ数十年で、研究者は物理規則に則る数爆モデルを生物の形質への疑問に適用し始めた。ここ数年のこのやり方に沿いながら私たち独自の研究が、興味深い見方を示してきた。どうやって貝殻は装飾的な構造を獲得するのか。
曲面を研究する数学の基本である微分幾何学を使い、非常に凝った形の貝殻がいくつかの単純な規則によってもたらされていることを突き止めた。軟体動物はそれに従い、自分の家作りをしているのである。これらの規則は貝殻が成長する間、生み出される力学と相互に影響しあい、無数のパターンの多様性を生み出している。私たちの発見が、どうのようにして回転のような複雑に入り組んだ特徴が腹足類で独自に発達したのかを説いてくれる。これら腹足類は、似たような形状を獲得するのに同じ遺伝の変化を経る必要がない。なぜなら物理法則がこれらの大半を行っているからだ。

構造物の規則
殻を作り上げる役割は、軟体動物の外套膜である。この薄く、やわらかい器官の神秘が、殻の開口部で炭化カルシウムを豊富にもつ物質の層で重ねる。カタツムリやその仲間の殻に見られる特徴的な螺旋を形作るために、三つの基本的な規則にのみ従う必要がある。第一の規則は拡張(expand)である。古い箇所に均等に以前よりも多くの材料を堆積させていくことで、軟体動物は少しだけ大きい開口部を作っていき、これを繰り返す。この過程が最初の円から円錐を生み出す。第二の規則は回転(rotate)である。殻口の一方の側に少し多くの材料を堆積させることで、殻口の回転を成し遂げ、ドーナッツ状、もしくは円環面(torus)を作り上げる。第三の規則は捻り(twist)である。軟体動物は堆積物の箇所を回転させる。拡張と回転に従えば、オウムガイのように平巻(planospiral shell)を得る。これに捻りを加えてれば、結果は非平面(nonplanar)の螺旋形(hericospiral)の殻を得られる。
いくつかの殻を作る軟体動物にとって、これが全てである。欲っするほど滑らかで優美な家である。他の軟体動物にとっては、装飾物は秩序だっている。どのように巻貝のように装飾が作り出されるかを理解するために、殻の成長の間に生み出される力を試験しなければならない。殻が作られる分泌作用の過程は興味深い機械的システムを繰り返している。外套膜はいわゆる生成領域ーー物質が分泌されているが、まだ石灰化していない領域のことだーーを通して殻に付いている状態である外套膜と殻の間の相互作用において、パターンが形成される力が存在する。外套膜と殻口の間の不均衡は外套膜の組織に物理的に圧力がかかる。もし外套膜が開口部に対し小さすぎれば、外套膜は開口部に付こうとする。もし外套膜が大きすぎれば、外套膜は縮まろうとする。これらの圧力で生成領域が変形すると、外套膜がその段階で分泌する新しい材料が変形した形状を引き受け、絶えず殻の中で凝固する。さらに次の成長の段階へ外套膜に影響を与えるのである。本質的に、軟体動物が成長するのと同じ速さで殻も成長しないならば、変形が生じ、装飾品のような特徴を生み出す。
スピンは最も際立った装飾を作り出す。通常では殻口へ右へと突き出ていき、時には殻の表面を超えて数センチ広がっている。外套膜が急成長を経る期間でこれらの予測が形作られる。急成長の間、外套膜速に成長し、その結果外套膜は過剰な長さを持ち、殻口を調整できなくなる。このズレが外套膜が曲がることを起こさせる。外套膜が分泌する材料は曲がった形状を生み出す。次の急成長まで、外套膜はさらに成長し続け、殻口を再び超える。この殻口がバックルの形状を増長させる効果を持っている。この繰り返される青陵過程と機械的な相互関係が一連のスピンを生み出していると私たちは結論付けた。スピンの正確なパターンはまず第一に急成長の頻度と外套膜のstiffnessによって決まる。
この考えを試すために、私たちは繰り返し進化していく基礎の上で外套膜の成長の数学モデルを作り出した。そのモデルで典型的な成長と材質の特性を試験したところ、太陽なスピンのパターンが現れた、それは実際の殻でも見られる形状と似ていたし、私たちの仮説を確認できるものだった。

古い家
軟体動物が貝殻に付け加えた飾りスピンだけではない。別のタイプのパターンが、絶滅した軟体動物で、今日の頭足類の親戚であるアンモナイトの貝殻が見つかりった。アンモナイトは65万年年前に消え去るまで、355万年間海を支配していた。豊富なアンモナイトの化石が、素晴らしい多様性と高い率で進化してきたこととともに、最も研究が盛んな無関津男動物となった、。
平巻対数螺旋形以上にアンモナイトの最も驚くべき特徴は殻の端まで並行にある規則正しい畝のような模様である。この装飾はおそらく同様にスピンを生み出す機械的衝突のためだろうと思われるが、しかし完全に異なったパターンである。アンモナイトの場合、力学は同じだが、規模と幾何は同じではない。
アンモナイトの殻口は基本的に円である。もし外套膜の半径が現在の殻口の半径より大きい場合、外套膜は圧縮されるが、スピンを生み出すのに必要なあり程度柔軟な不安定さを生み出すほどではなかった。むしろ圧縮されている外套膜は外側に力が働き、次の成長期には殻の半径は大きい。しかし外へ動きは石灰化を起こす生成領域によって押し戻される。これが、トルクばねのように現在の殻の方向性を維持しようとしている。
この二つの反対の力が規則的に動きと私たちはまとめた。貝殻の半径が大きくなり、圧縮が小さくなり、しかし緊張状態を通り過ぎる。「伸びた」外套膜は次にその緊張した力を小さくするために内側に引く。そして再び圧縮されている状態を通り過ぎる。変形機械的振動の数学的描写は、私たちの仮説を確認してくれるものであり、軟体動物の成長期に波長と振幅を伴う規則的なうねりが生み出される。これらの数学的予測はアンモナイトの形状にとても似ている。
数学モデルはまた、成長している軟体動物の拡張する比率が大きくなるにつれて、すまり開口部の直径が大きくなる比率で、そのうねりはより目立たなくなる。これらの発見が広がる殻口の湾曲がうねりのパターンに関係しているという洞察を説明してくれて、一世紀以上もの間、古生物学者によって記されてきた進化の傾向も説明してくれる。
広がりの比率とうねりの関係はまた単純な機械的幾何学的な解説を長い間解けなかった軟体動物の進化について教えてくれる。オウムガイやその種の貝殻は本質的に200万年前から滑らかで、見るものをその種が一見進化していないという考えに導く。事実、今日の生き残っているオウムガイの種はよく「生きた化石と表現される。しかし、私たちの生物物理学の成長モデルは、オウムガイの貝殻の滑らかさはたんに急激な殻口が広がったことによる結果にすぎないことを示している。オウムガイに連なる種は貝殻の形態学が示す以上に進化してきたのかもしれない。しかし、古生物学者が種を分類していた個別の装飾のパターンが失くすことで実際の進化が隠されたままなのである。
私たちは、いまだどのように軟体動物は素晴らしい住居を作るのかについて学ぶべきところが多くある。貝殻の収集を通して短い歩みこそが、科学者がいまだ説明してこなかった数多くのパターを明らかにする。例えば、およそ90%の腹側動物は「右利き」で、時計まわりに貝殻は作られている。たった10%が左巻きである。科学者はようやく右利きが広くいきわたっていることを導く数学を証明し始めている。美しい模様の起源が同様に未知であり、例えばフラクタルに似たスピンのパターンがオウムガイのマッキガイ科の中で多くの種で見られる。しかしまた、私たちは環境要因が貝殻の成長の比率に影響を及ぼしていることが知っているが、貝殻の形成する上での様々な影響についてはよくわかっていない。貝殻に纏わる謎について、それは自然界でのパターン形成の幅広い疑問を調査するためのモデルとなっていて、私たちは困難な仕事をあてがわられている(we have our work cut out for us)。しかし貝殻の成長を支配する物理的な力を理解することは、少なくとも貝殻の魅力を増していると思う。
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Scientific America, April 2018からの記事。しかしまあ難しい。全くの門外漢でもあり、正直訳してて貝殻がどう形成されるのかということをイメージするのが難しかった。訳語なんかは一応調べたけど、まあ間違っていることでしょう。
貝殻の幾何学的な模様を不思議に思うものだ。世界はランダムなようだが、非常に秩序だっているのだと実感できる。インテリジェンス・デザインなんかあほらしいと思うが、まあそう考えてしまいたくなるのも無理はない。

2018/08/18

『プロテスタンティズム――宗教改革から現代政治まで』深井智朗 中央公論新社

なかなか興味深い指摘をしてくれている。非常に良い本だと思う。
ルターの宗教改革は一種の神話化していて、ドイツ・ナショナリズム高揚のためにことあるごとに使われていたという。それは第一次世界大戦、第二次世界大戦だけでなく、東ドイツでは共産主義革命と宗教改革をだぶらせるようなメディア戦略が行われていたと言うのだ。以下はメモ。非常に勉強になりました。

プロテスタントという名称は、ドイツでは福音主義と呼ぶ。
そしてルター自身、新たな宗派をたちあげるという感覚は全くなく、あくまでカトリックの立場でカトリックを改革するべきという立場であった。
贖宥状の発行が、当時のヨーロッパの人々、とくにドイツ(ボヘミア)の人々には非常に魅力的だったというのだ。自らの罪を他者が代行して償うというゲルマン世界特有の法理念があって、それとキリスト教がまじりあっていると言うのだ。
最初のほうはヨーロッパ史のおさらい。神聖ローマ帝国とローマ教会の関係など。神聖ローマ皇帝、つまりドイツ皇帝は歴史的にローマ教皇の権威があってこその存在。
なんとルターは、ヴィッテンベルグ城の教会に「95か条の提題」をハンマーで打ち付けなかったと言うのだ。ふざけるな。僕はこれまでずっとルターのこの英雄的行動を信じていたのだ。
ルターの神学について、ちょっとした解説。普通の人が、善い行いをして天国にいくというのはできない。義人とは、神と正しい関係をもてる人のことを指す。この義人が天国へと人々を見tびく。神は義を与えるが、全ての人に与えるのではない。修行した人に与えるのでもない。神は自らを信じるものに義を与える。そしてその義人がイエスだという。ここで救いは受動的になる。信じれば救われるものとなる。
驚くべきことにルターは1521年に破門されてから、今日までこの破門が解かれていないというのだ。
アウグスブルクの宗教和議について。領主の宗派がその領域の宗派を決めるという取り決めだたり、実効性がないため、実際それほど画期的なものではなかったという。フランス、イギリスに送れて19世紀にようやく統一は成し遂げたドイツの、「近代のはじまり」として利用された節があるようだ。
「宗教改革は中世に属する」トレルチ
古プロテスタンティズムと新プロテスタンティズムという分け方。ルター派やカルヴァン派などは保守的な勢力となっていて、また政治上の立ち位置はカトリックと変わらない。つまり神学も道徳も領主と教会との緊張関係のなかで決められる。すなわち教会は政治的支配制度の一部であり、まさに政治的な機構一部として認められる存在であるということ。そういう意味で宗教改革は中世に属する。
新プロテスタンティズムは個人が選択するもの。生まれながら属する宗教を決められるのではなく、自らが医師をもって選択することに注力しており、それゆえ布教するにも説教するにもいろいろと工夫がなされている。新プロテスタンティズムが、デモクラシーや自由主義を生み出したわけではないが、これらの近代を担った運動であったことは間違いない。
ドイツ統一ににもたらされた「ドイツ的なもの」とプロテスタンティズム、そしてルターの宗教改革の先駆性という神話の構築。つまりピューリタン革命やフランス革命よりも早い時期に「近代」を説いていたというやつ。ナショナルアイデンティティの形成。
第一次世界大戦の敗戦によって、共和制へ移行。その過程でルター派が追い出される。なぜならば王政とルター派は結びついていたから。面白いのがヴァイマール期で勢力を拡大したのがカトリックということ。というのもカトリックはバチカンを中心に世界的な組織で国際的であるため、時代の要請に適合していたということ。
ナチスはルターを利用したが、ルター派教会は積極的には協力しなかったにせよ、否定もしなかった。ルター派はドイツでは保守であり、近年移民問題などから教会にくる人々が増えたという。それはドイツ的なものをもとめてのこかもしれないという。ここで興味深いのは、このような近年の動きにルター派は忸怩たる思いがあるということ。彼らはナチに協力しなかったにせよ、否定もしなかった。その後多様性と寛容を発信してきたにもかかわらず、どうも理解されていないと。またここで保守思想の一つ重要な指摘をしている。
「戦後のプロテスタンティズムは、単なる宗派の独善的な優位性の主張ではなく、多宗派共存のためのシステム構築の努力を続けた。プロテスタンティズムとは、カトリシズムとの闘いを続け、その独自性を排他的に主張してきた宗派であるだけでなく、複数化した宗派の中で、共存の可能性を絶えず考え続けてきたしゅうはであり、むしろ後者が私たちの今後の生き方だと主張するようになった。このような仕方で戦後もドイツのプロテスタンティズムは国家と歩みを共にした」158
またイスラムの授業を公立の学校で選択できるようにするということについて、「この改革を支持しているのがルター派である点だ。たしかにルター派は社会の保守層を支持母体とし、保守的な勢力として、社会の多元化を嫌い、不寛容な排他主義を容認し」てきたが、「他方でルターをはじめとするプロテスタンティズムは、そのような不毛とも思える争いを終わらせ、政治や宗教における様々な見解がとりあえず共存可能な社会システムを作り上げ」てきた勢力でもある。だから、極端な排他主義、かつては洗礼主義、を否定した。