2017/08/27

『狼煙を見よ』 松下竜一 河出書房新社

「いま”狼”を見直していく作業の中で、いかに私はそのとき彼等の近くに居たのかを改めてしるのであり、その驚きに打たれている。私は巨大開発に反対し、発電所建設を拒否した根底には、単なる公害問題を越えた大きな視点があったのだが、それはたとえば当時タイなどで頻発していた日本製不買運動までも見据えてのことであった。海外への経済侵略をやめさせるためにも、これ以上の巨大開発は断念すべきであり、日本がこれ以上の経済大国にってはいけないのだというのが私達の運動理念であった。東アジア反日武装戦線を名乗る彼等ほどには明確に理論化されず政治目的化されていなかったとしても、彼等と私達の行動の動機はかなりの部分で重なっていたのだといえる。」133

「何もしない者は、それだけ間違いも起こさぬものです。そして多くの者は、不正に気付いても気付かぬふりをして、何も事を起こそうとせぬものです。東アジア反日武装戦線の彼等は、いわば「時代の背負う苦しみ」を一身に引き受けて事を起こしたのであり、それゆえに多数の命を死傷せしめるというとりかえしのつかぬ間違いを起こしてしまったということです。その間違いだけを攻め立てて、何もしないわれわれが彼等を指弾することができるでしょうか。極悪犯として絶縁できるでしょうか。」169

松下は片山批判のところで躓く。「新年おめでよう」というだけで、総括を求められる異常性。片山が転向者として批判される。左翼特有の思想統制。なぜもっと他者に寛容になれないのか。
硬直した考えから、ちょっとしたことが小市民的に写ってしまう。松下はここで「私という人間の弱い部分を容赦なくえぐってやまない」と書いているが、おそらくは極左系の活動における思想の厳格さ? というよりも不寛容さが面前に突きつけられたとき、自らの考えとの溝の埋めようのなさへの絶望だろう。俺はこうなれない、なるべきではないといった。
しかし、片山を批判した大道寺は考えが変わっていったが。
「片山君批判の頃は、ぼくは自分を見失っていたと思います。連合赤軍の兵士たちと同じような状態だったかもしれません。全く慚愧に堪えません。…そのうちぼくに批判が集中してきました。ぼくが彼を批判せずにいることはナンセンスだと。…ぼくが反論できずその批判に屈したのは、ぼく自身が自供してしまっているという事実です。…”片山が立ち直るための援助をすべきだ。それは、彼を厳しく批判することだ”という救援会や同志の批判を受けて、ぼくも彼への批判を行いました」230 片山批判への批判もあったが、大道寺にとって当時はその行為は小市民的なものとしてはねつける。大道寺は後にこの小市民的なものを理解し、賛成していく。もともと大道寺の東アは連合赤軍とは異なり、非常に寛容なものであったにも関わらず、片山批判をするような状況になってしまっていた。
左翼とはなぜかくも不寛容な集団になってしまうのか。これは日本の左翼の特徴なのか。それとも左翼思想に傾倒する人間がもつ、ある種の潔癖さが原因なのか。

「三菱は失敗であったとしても、被告人たちを日本は裁けるのか」ある牧師の言。238

なぜ東アは失敗したのか。

「いますぐ撃つべき敵は誰であるのかを明確にできなかったが故に、いつの日にか結びつくべき人々、そして権力の弾圧から防衛すべき人々を見失い、殺傷してしまったのだ、と。ぼくらは、人民という生きている具体的な存在を、人民あるいは大衆という概念でのみ理解していたのです。つまり一人一人違った顔、名前、ぬくもりを持ち、違った生活を営んでいる人たちを、人民、あるいは大衆という概念で一括りに規定して、それでいいものと思っていたのです。こうしてぼくらの観念性は、三菱重工爆破の結果、八人のし者と三百余名び負傷者を出してしまっという結果をつきつけられ、その死傷者の方々と具体的にむきあうことによって、はじめて意識されたことなのです。ぼくらの誤りは、厳しく糾弾されなくてはなりません。ぼくは、繰り返し自己批判を深めています。」172

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