2021/07/29

『数の発明――私たちは数をつくり、数につくられた』 ケイレブ・エヴェレット/屋代通子訳 みすず書房

んー基本的にはおもしろい内容ではあるが、結局は数を扱うことは本能なのかそれとも文化の影響なのか、というとまあ後者の方が強いね、という内容。
人間は10進法が標準であり、えてして10進法は遺伝子に組み入れられていると考えられたりするが、そうではないんだよと著者は言っている。2進法も12進法も60進法なのかは、文化で異なっていく。
そして数詞が存在しない言語があり、ピダハンがそうだと。実験では3を越える数になると正答率が低くなると。3を越える数は、人間は「だいたい」でしか把握できない、という主張はそうかもしれないなと思う。カントも『純粋理性批判』で同じような話をしてる。直感かどうかってやつ。
ということで、すべてに共通する法則はない、という結論をするんだが、いやあるんじゃないのか。そして数を数える上で身体、とくに手指を使っていたり、というのは人間の共通したものかもしれないが、でも数詞なんかは遺伝子レベルで組み込まれていないという。
んーまあね。
大きい数になれば、それは実際に認識している数ではなくて、概念になる。で、その境目が「3」ということ。
数を必要とするのは、やはり農耕社会においてで、それが複雑になればなるほど帳簿をつけるうえでの数は必須なものになっていく。これはさもありなんというところでしょう。
農耕社会だからこそ、時間や年月が重要になっていく。時間も概念だし、年齢や何歳離れているのかも概念だ。高度な計算なんかあたりまえだけど概念だし。
でも、だからといって生成文法という説は覆せていないわけではないが。

2021/07/28

『白鯨 MOBY-DICK』 夢枕獏 角川書店

いちいちかっこいい。

ジョン万次郎が実はピークオッド号に乗っていたというお話で、考えてみればメルヴィルとかって同時代の人なんだな。

「われらは、死んだら海になればよい。海の底で、海の生きものに喰われ、やがて、スターバックスであったか、エイハブであったかなど、何もわからなくなってしまうのでいいのだ」(24)

「そのホトケは、嵐を鎮める力があるのかい?」
「ある」
ここは、万次郎は、迷わずに口にした。
「しかし、その力があるかどうかということより、こっちの願いを聞いてくれるかどうかだな」(263)

「あたりまえの事実を、あたりまえに告げた――そんな顔をしている。自分の死を告げながら、その表情に恐怖も何もない。むしろ、どちらかというのなら、その声にはわずかながら悦びの響きすらあった。」

「人は、いつも、正しい道を選ぶとは限らぬのだ。おおかた、人は、間違った道を選ぶ。しかも、人は、間違った答えを手にしてしまっても、そのことに気づかぬ。たとえ正しい答えを見つけたとしても、それが正しいかどうかということにも気づかぬのだ。いやそもそも、正しい答えがこの世にあるのかどうか」(412)

「時に、物語は、予定調和を拒否する。答えがないことが答えの時があるんだよ。物語は混沌でいいんだ。混沌――カオスこそが物語の本質だよ。……物語には、結末なんていらないんじゃないかと思う。だって、そうだろう。」(453)