2020/08/01

映画『新聞記者』について

Netflixで公開されていたので見てしまった。

◾新聞記者なんて大した職業ではありません。
なんとナイーヴな映画なのでしょうか。
新聞記者なる職業は、悪を暴き、正義の鉄槌を下すものだとでも思っているだろうか。
しきりに政府がメディア戦略をしていることを、陰謀めいた感じで描いていますが、つーかよ、政府がメディアを使って情報操作しようとするなんて、あたりまえじゃないか。政府とマスメディアの癒着なんて、今始まったことじゃないだろう。
どんだけ新聞記者とかいう職業にノスタルジックな想いを乗せているのよ。
そもそもジャーナリズムの本質は大衆に情報や主張をどれだけ膾炙させていくか、つまりどうしたって大衆迎合主義であり、ポピュリズムとは切っても切れない関係で、だから各国の政府は歴史を振り返れば、マスメディアやジャーナリズムを使って世論操作をしようとしているわけです。
しかし、だからといって政府が世論をコントロールできるわけではない。大衆とはつねに扇情的でわがままで気まぐれなものだからだ。
太平洋戦争だって、日本政府はそこまでアメリカと戦争はしたくなかった、でも世論を静まらなかったわけで、それを先頭をきって音頭をとったのはマスメディアだ。
もう一度言うが、マスメディアとは本質的にポピュリズムであり、そして日本だけでなくどの国家もマスメディアを使い、そしてマスメディアは意図的に使われ、大衆を扇動してきた。

加計学園問題ってそんななに巨悪なの?
そもそも加計学園のことって、そんなに巨悪な事件なのか。他に追求しなければならない事っていっぱいあるんですけど。まあそれはいい。
加計学園問題の真実なるものは、全く描かれない。ノンフィクションではなくあくまでフィクションの立場でもあるからですが。
映画では大学設置計画を止めたかった神崎は、自殺しちゃんだけど、んでなぜ自殺してしまったのか、なぜ大学計画を阻止しなければならなかったのか、この大学設置企画にどんな巨悪が潜んでいるのか、そう、巨悪がなんと政府は生物兵化学器の研究所を設立するためだったとか何とか。おっひょー。

一つ納得がいかないというか、おそらくはこの映画を見る人たちの多くが知らないことだろうが、レベル4の実験室を日本でつくるのが難しいのは、かなり危険な研究を行うから周辺住民から反対が起こったりする。たしかに僕の近所にこんな研究室ができたら嫌ですが。
この映画でレベル4であることが、なんか生物化学兵器と結びつくように描かれているが、まったくその通りだけれど、その研究自体は否定されるべきものではない。
戦争反対でも、戦争が何であるのかを研究する必要はあるし、生物化学兵器に反対でもそれに応じた研究がなければ、国民の安全も守れないのです。
この手の映画のよくないところは、つまらない正義をかかげすぎるところかな。そして悲しいのは新聞記者というジャーナリズムを推している割には、日本でのレベル4の実験室の設立の難しさ、それによってもたらされている日本の研究の遅れなどは無視され、陰謀論へと流されてしまっている。

この映画の存在論的ダメさ
新聞記者は「真実を追求すること」という前提があるが、この映画自体が「真実」が描かれない。この映画は、あくまで一人の新聞記者が巨悪に一人闘っていく、その姿を描く。
そして悲しいのは、加計学園を匂わせておいて、生物化学兵器と結びつけてしまうという、やっていることは映画にでてくる内調といっしょじゃないですかー。
この映画の存在自体が物語っているのは、メディアが単なる大衆操作の道具であることで、決して「真実を追求する」ことではないということだ。
そういう構造に気付かないダメさ加減よ。

深刻ぶってるバカたち
とはいっても、僕がモデルである望月衣塑子氏に批判的でもあるし、そもそも新聞やテレビ報道も嫌いだし、だから見る前から批判的だったのでフェアな感想ではないけどね。
だけどさー、主人公は何もしないで、情報が入ってきて、一件落着だけど、タイトルに「新聞記者」とあるわりには、取材だとかの描写が貧弱です。
スクープが一面にのることができ校了。新聞が印刷され、各地にはトラックで運ばれ、喫茶店、コンビニ、家庭に届けられていくシーンとなる。「真実」が全国に広まるイメージだね。
ちょっと心を動かされる描写ではあるけど、翻ってみれば、結局は「真実」なんかどうでもよくて、映像によって視聴者を動かそうとしているわけです。
ジャーナリズムとはなんでしょうかね。
また不明なのが最後、杉原が呆然と憔悴しきった感じになってるけど、次は俺の番だ的ななにかでしょうか。意味深で終わる。
はっきり言って、転職すりゃ―いいじゃん。何を思い詰めてんだよ、バーカ。

総論
この程度の内容で、ヤバイ映画扱いされているって、それこそヤバいですね。メディア関係者はこの程度のクソ生ぬるいストーリーですら、政府批判のやばい内容な映画として扱い、よく作れたな―とか言ってるようじゃ、安倍政権云々以前に、お前らダメなやつらじゃん。
そして、この程度の映画が日本アカデミー賞をとってしまう闇の深さよ。
安倍政権反対を叫べば、それが正義であり、ジャーナリズムであるという錯覚。
穿った見方をしますと、日本が世界報道の自由ランキングで低い順位になればあるほど、この日本で一部のジャーナリストが英雄みたいになっていくというこの逆説よ。日本の報道はいろいろと障害あるんですよーと叫べば叫ぶほど望月さん一派は真のジャーナリストになっていくわけです。
言わせてもらえば、日本では報道の自由はかなりある。それを行使していないだけだろう。安倍政権のせいじゃないよ。
最近、「ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言」なるものが、黒川テンピン麻雀事件をきっかけに、ジャーナリストや大学関係者(きもいな)が発起人となり、賛同者を集めているようですが、なんだかね、なんか声をあげれば賛同者は集まりますが、発起人の面子をみれば、賛同する輩の質が透けて見えますし、あと腹が立つのが署名を集めれば運動したことになったり、声をあげたことになることです。
この件でのちのち、私はあの時声をあげました的なことだけは言ってほしくない。
いつまでこんなくだらない署名活動をしているのでしょうかね。

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