ようやく最終巻。しかし長かったぜ。ドーロホフやデニーソフはゲリラとしてフランス軍と戦っていた。そこにペーチャあらわる。ペーチャは血気盛な時期にあり、ドーロホフを英雄のように尊敬していってしまう。そして死ぬ。ペーチャの死はロフトフ家にとって、特に母にとって悲痛すぎる出来事となる。
プラトンも死ぬ。ピエールはただプラトンを好きだったが、病で衰弱していくにしたがい、避けるようになっていた。このあたりがピエールに皇道のよくわからなさだ。どういうことだ。なぜ親身になって看病とかしてやらないのか。ここは一つの謎だが、ピエールの思想を読み解くうえでも大切な所かと思う。死を厭うにちかいものかな。アンドレイは死を待ち焦がれていたが、ピエールは逆に死を遠ざけていく。
「生命がすべてだ。生命が神である。すべては移ろい、動いていくが、その運動こそが神である・。生命があるかぎり、神の力を自覚する喜びがある。生命を愛し、神を愛すべし。何よりも困難でかつ何よりも幸いなことは、苦しみの中にあっても、罪なき苦しみの中にあっても、己の生命を愛することである。」(98)
そしてピエールは悟る。プラトンだと。
この単純で明快なことこそが真理となる。
「昔スイスで塵を教えてくれた物静かな老教師の姿が生き生きと浮かび上がってきた。『待ちなさい』と老教師は言った。そうして彼はピエールに、一つの地球儀を示した。その地球儀は、生きていぶるぶると震えうごめく球体で、大きさも決まっていなかった。球体の表面はすべて、びっしりと寄り集まった滴でできていた。その滴のすべては動き移ろい、何粒かが溶け合って一つになったかと思えば、一粒がたくさんに分かれたりしている。それぞれの滴があふれ広がって最大限の空間を占めようとするが、同じ狙いを持った他の滴たりが圧迫して、時にはそれを潰してしまい、時にはそれと一つに溶け合うのだった。「これが生きるということなのだ」老教師が言った……「中心に神がいて、一つ一つの滴は何とか広がって、できるだけ大きく神を映し出そうとしている。それで大きくなり、溶け合い、押し合い、表面でつぶれて深く沈んでいったかと思うと、再び浮かび上がってくるのだ。ほら、これがあのプラトンだ、あふれ広がって、消えただろう。」(98)
これは興味深い描写だ。この滴のかたまりのメタファーはどこからきたのだろうか。
トルストイの「偉大さ」については、なかなかひねくれている。人はナポレオンやらアレクサンドルやらを偉大だといっているが、なぜ下民が「偉大さ」を理解できるんか、下民が理解できる「偉大さ」は下民なりの観念でしかなく、「偉大さ」のイデアとは違うとなる。トルストイはここでクトゥーゾフをもってくる。
クトゥーゾフへの大衆の憎しみや軽蔑は、まさに偉大さの証明かもしれないとなる。逆説的なかたちでトルストイクトゥーゾフの行動が失敗だったと非難されることについて書く、
「これこそ、ロシアの知性が認めようとしない、偉大ならざる者、非・偉人たちの運命である。すなわち、いったん神意を把握すると、それに自らの個人的意志を委ねてしまうような、ごくまれな、常に孤独な人間の運命なのだ。そういう者たちは、至高の法を洞察したがゆえに、大衆の憎しみや軽蔑という罰を受けるのだ。」(146)
ニコーレンカのピエールへの眼差し。そしてニコーレンカの将来の運命はいかに。ブカレストの乱につながるらしい。
生命が次の世代へと受け渡されていく。
これは大きな物語なのだ。